あなたの祈りは誰への言葉?アナスタシアの祈りは神である父との対話⑪

アナスタシア

アナスタシアシリーズの本を読み、これを本物だと思ってしまった瞬間から、日常生活の風景は全く違って見えてくると思うのです、スー(@bacteria_suzu)です。

本日もお越しいただきありがとうございます。

みなさんはもう読まれましたか?

そこに見える景色は変化しましたか?

変化したとすれば、きっと光に満ちて明るくなり、朝が待ち遠しくなり、植物や動物を愛おしく思い、子供には高貴なものを感じることもあるのではないでしょうか。

宗教かどうか、ビジネスかどうかを論ずるのなんて、闇の勢力が起こしているささやかな抵抗であるとさえ思えますよね。

まぁ、そう感じるようになったとしても、あまり変わらない生活を送っている自分がいるのも事実です…。

気持ちの上では、今まで窮屈だった社会的常識が自分の中で解き放たれ、自由になれた気はしています。

そして、今回、また社会の常識とアナスタシアの常識、という板挟みを体験したので、その板挟み体験談の前に、この『祈りの言葉』についてまとめておこうと思いました。

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神様にお参りして何を願う?

アナスタシアの観点からすると、偉大なる創造の父です。

もちろん私もその解釈に同感しました。

それは人間創造の時の具体的な描写や、アナスタシアの純粋な生き方を垣間見れたからだと思います。

しかし、実際には日本には何かちょっと違う意味の「神様」が存在していますよね。

神社・仏閣がその象徴です。

初詣や願掛け、縁結びから商売繁盛、先祖供養、氏神などなど古くから身近にあり、当たり前のように私たちはその存在に敬意を払って生きてきたと思うのです。

そういうものを、なかったことにしてしまうのか、それとも全く別の解釈ができるのだろうか…。

偽りの伝説

ここからは、ほぼ私の勝手な考えを述べていきますね。

ちょこちょこ、いろんな人の考えでいいなと思ったものも挟んでいきますが、それらを咀嚼して自分なりのものに消化していると思って頂ければ幸いです。

まず、神様に関するいろーんな古い記述や、伝説や物語は、どれも今となっては本当か嘘かわからないのではないでしょうか。

その当時のままで残っているかどうかさえ怪しいですから。

著作権なんかもないですし、いくらでも書き換えることは可能です。

そして、ある時期からそれが激しく横行したのではないかなと、私は思っています。

神様に関してだけではなく、歴史に関するいろんな書物、特に日本の起源についての文献は重要なだけにいろいろと都合よく書き換えられたということも大いにあり得ます。

支配しやすく統制取りやすく民衆をおとなしくさせるようにはいくらでも…。

本当の真実の物語は一体どれなのか、あまりにも複雑すぎて、もはや神社にお参りしている人でそれを意識している人なんてほとんどいないかもしれません。

八百万の神

そんな中でも、日本に昔からあり、民間の人々のごく日常に根付いていた「かみさん」という親しみのある存在、いわゆる【八百万の神】は、日本人のから自然発生した、何か大きな存在を心から敬っているという表れではないでしょうか。

【八百万の神】・・自然のものすべてに神が宿っているという考え方。

日本では古くから
”山の神さん”
”田んぼのかみさん”
”トイレのかみさん”
”台所のかみさん”
”米粒のかみさん”

いたるところに神様がいると考えられてきました。

「お天道様は見ているよ」

などと言って、誰も見てないだろうと悪さをしてもちゃんとお見通しなのだよ、神様は。

そんな存在でもありますね。

とにかく、親しみを込めて日常会話に登場するとはいえ、やはり神様は「恐れ多く、悪いことは罰する」という解釈のように思えます。

それにしても、日本にまします神々の名前とは、なぜあんなにも複雑覚えられないようなものばかりなのでしょうか?

ソラで言えるのは『天照大神』くらいです、失礼ながら。

恐怖から始まる『宗教』

えらいもんですね。

宗教を作り上げた世界、まさにえらい大仕事を成し得たと思います。

昔の人も「死ぬ」ことは怖かったのでしょう。

「死んでも天国といういいところに行けるのだよ」

「でも、悪いことしてたら地獄かなぁ」

なんて言われ続けたら、それが本当だと思いますよね。

だって、誰も死後のことは知らないですから。

死後のことを知らない人間でも、悟りを開いた人が言ってるんだから間違いないと思うのでしょうか。

「死ぬのが怖い」そう思ったらその瞬間に、宗教という亡霊がつきまとうんです。

そんなこととは無関係で、毎日毎日キャッキャと過ごしている小さい子どもたちが「死ぬ」ことを恐れ始めるのは社会のルールに従わなくてはいけなくなってからですよね。

自分のルールで生きることができなくなる、
みんなに合わせて生きないといけない、
勉強しないといけない、
働かないといけない、
結婚しないといけない…、
もうがんじがらめに魂を締め付ける生き方ですよね。

そして、困難にぶち当たった時、恐怖を感じたときに、「ああ、神様、仏様!」と手を合わす。

自分の息子たちがこんな苦しみの中でしか自分を呼びかけてくれない、創造の神はどれほどに切なく感じているでしょう。

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アナスタシアの素朴な疑問

私はある時期から、神社にお参りするときに「お願い」はしなくなりました。

以前はバリバリしていましたよ。

自分の住所と名前を正確に言わないと願いが叶わないと、真剣に思っていた頃もあります。

なんなら、ご先祖様への挨拶をするお墓参りなどの時も、お願い事をしていたような女です。

欲深いというか、なんかいろんなことに「恐怖」を感じていたんでしょうね。

それでも、今は神社では「ここに来ましたよ」という訪問の挨拶と感謝、お墓参りにもいろんな報告や感謝、挨拶をします。

なので、シンプルで清々しいですね。

アナスタシアもお祈りについて語っているところが清々しくて、自然で、本当に自分の中に創造の父がいるんだなぁと思います。

『祈る言葉』を理解していないの?

ウラジーミル・メグレ氏が再びアナスタシアに会いに来た時、多くの人たちの手紙から得た質問なども話題にします。

そのひとつが、

「神について話すアナスタシアは、どんな風に祈るのか?」

というものでした。

なので、この話題はメグレ氏からふっかけたのですが、とことん問い詰められていくのはメグレ氏の方なんですね…。

ア 「あなたは祈りのことばの意味をどのように理解してる?」

メ 「意味については何だかあまり考えなかったな。それでもとても大事な祈りの言葉はひとつ暗唱できるし、時々それを唱えているよ。たくさんの人がそれを唱えているんだから、明らかにその文句には何か意味があるんだろう」

 「まあ、お祈りを覚えたのに、意味を理解したいとは思わなかったの?」

 「(とにかくよく考えなかった云々)どうして深く考える必要がある?祈りっていうものは、単に神との、その、会話だろう」

 「大事なお祈りが神との会話のことを言うのであれば、意味なくしてどうやって神と、父と、話ができるの?」

 「わからないよ!意味がどうしたっていうんだ!その文句を書いた人は知っているのさ」

 「自分から父に話ができたらと思ったんでしょう?」

 「もちろんさ。誰だって自分から父に問いかけてみたいだろう」

 「でも、他人の言葉を口にしながら、『自分から』問いかけることがどうしてできるの?しかもその言葉に何が込められているかを考えもしないで」

なんか、あまりにも「祈りの言葉」に拘るアナスタシアにイライラしているメグレ氏ですが、質問を質問で返されて逆ギレしている人の図ですね。

しかし、案外すんなりと素直になります。

せっかくだから、その言葉にどんな意味があるのか知りたくなったのです。

そこに気持ちが全くないわ?

もうアナスタシアからしたら、なんで?なんで?なんでー?な質問なんでしょうね。

「どうにか意味を考えてみよう」

と前向きになったメグレ氏は、アナスタシアに、

「なぜ『どうにか』なの?今ここで祈りの言葉を放つことはできないの?父と話しをしようとした祈りの言葉を」

と言われてしまい、誰もが知っている有名な祈りの言葉を唱え始めました。

アナスタシアはそれを、メグレ氏の意識を追いながら聴くといいます。

天にいます我らの父や。
願わくは爾の名は聖とせられ。
爾の國は來り。
ーーーーー以下、日本正教会の「天主教」より続きますーーーーーー

アナスタシアは頭をがっくりと垂れ、黙って座ったまま悲しそうにしていました。

「祈りのことばの意味は理解できる。でもあなたはすべての言葉の意味をわかっているわけではなかった。

かろうじてかすかに意識が生まれては、途切れ、失われ、そしてそこには気持ちが全くなかった

あなたはお祈りの中の多くの言葉が持つ意味を自覚しておらず、誰にも話しかけてはいなかった

あなたはただぼそぼそ呟いていた

ちょっとくらい気持ちが入らんかね、メグレ氏。

きっと間違わないように唱えることに集中していたのでしょう。

しかし、すべて見破られてますから。

「神は、我らの父は、彼は人格そのもの。生きている実体なの。

きちんとした対話が生まれた時に、感じることも理解することもできる」

想像してみて

メグレ氏は、誰もがこうやって早口でぶつぶつと呟いているんだと主張し、聞く耳を持ちません。

そこで言ったアナスタシアのセリフが、とてもわかりやすくてすぐに考えを改めます。

「想像してみて、あなたの目の前にあなたの娘のポリーナがいて、突然あなたに一本調子で何かを話し始めた。

フレーズの中に彼女自身にも意味のわからない言葉を組み込んで、彼女の父親であるあなたは、そんな風に娘から話されたいと思う?

それをはっきりと想像したメグレ氏は、

すぐに何だか気味が悪くなった。

自分のすぐ目の前で、我が娘がぶつぶつ何かを呟いている。文字通り狂人じみていて、彼女自身も何が言いたいのかさえわからない。

そして、その翻訳が不完全だからダメなんだろうと結論付けます。

だから意識が失われると…。

あなたはどう思いますか?

ここまで遠回りはしないですよね。

ちょっと想像すれば、神の前で自分たちが唱えている祈りはとても神の心に届くようなものではないかもしれません。

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まとめ

ここからまだまだ、メグレ氏のトンチンカンぶりが続き、ついにはアナスタシアによる実際の神への祈りも登場してきます。

アナスタシが普通の言葉で情熱的に父なる神に話しかける「祈り」とは⑫
ようこそ「祈り」の続編へ。 アナスタシアの祈りとは一体どんなもの? と思いました? メグレ氏の述べた「祈りの言葉」だって決して悪くなかったと思いますよね。 間違いもないし、一生懸命に暗唱していました。 ただ、そこに肝心の気持ちが全く入ってい...

しかし、宗教や信仰があるから『幸せ』を感じられる人もいるかもしれないですが、ただ惰性で信仰している、お参りしているという方は今一度ちょっと想像してみませんか?

我が子が自分の目の前で自分と同じように祈ったり乞うたりする姿を

あれ欲しい、これ欲しいと、びっくりするくらい躊躇なく言いまくる8歳娘を持つ親としては、耳が痛い話ですが…。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

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