【かみさまは小学5年生】という本を読んで共感するのか嫌悪感を抱くのか





お正月に実家に帰ったとき、1冊の本と出会いました。

それが「かみさまは小学5年生」です。

知ってますか?

私は全く知らなかったです、スーです。

本日もお越しいただきありがとうございます。

オリコンニュースによると、【2018年 年間本ランキング】34位で、30万部以上の売り上げだそうです。微妙ですね…。

いろんな情報からの推測ですが、電車などの車内広告での宣伝がすごかったようで、連日のように目にしていた人も多かったのではないでしょうか。

2018年の3月に出版され、その広告効果もあってか、半年後には第27刷発行という結果にまで伸びているようですね。

おそらく、なんしかの広告媒体で毎日のようにその本の”売り言葉”を目にした私の母親が、まんまと「読んでみたい」と思ったのでしょう。

実家のリビングにポンと出されてありました。

「読んでみたら?」

くらいのことは言っていましたが、特にすすめてくるということもなく、8歳の本好きの孫も来ることだし、

「子供でも読みやすいで」

という感じでした。

へー子供が書いた子供向けの本なんかな、くらいで私はスルーしてました。2日間ほどは…。

そして、あまりにも暇すぎて、その誰にも読まれずに2日間放置されていた本をパラパラっとめくってみたわけです。

「おお」

「なんかこれはえらいことになってるなー」

”ビビビ”とはまた違う感想でしたが、妙に気になりました。

パラパラっとだけ読んでいてすっかり忘れていたその本を、最後の最後はなぜか父親が「持って帰り」とやたら押してきたので、言われるがまま持って帰って今読み終えたところです。

果たしてわたしの感想はいかに!

気になった方はどうぞ一緒に見ていきましょう♪

なんか気になる

ブログを始めたことにより、なかなかゆっくりと本を読むことが難しくなっていたのですが、正月という特別な休息を自分にも与え、いつもよりは「暇」がありました。

帰省した実家には普段自分では買わないような本がたくさんあります。

『かみさまは小学5年生』もその中の1冊でしたが、最初は全く読もうとは思っていませんでした。

ところが、毎日仕舞われることなくリビングのテーブルに置いてあるそれ、どけてもどけても視界に入ってくるそれ、なんなん!?

しゃーない、実家で出会ったその本を、「どれどれ」と脱力の中で読んでみました。

「わたしは神様です」

ほほー。

そっか、神様か。

ってなる?普通。

いや、なるかもしれません。実際、わたしがパラパラと流し読みしたときは、その内容を一笑にふすことができませんでした。

どうしたもんかなぁ。

小学5年生…。

どういうテンションで読んだらええんかなぁ。

悪意はないと思われるその内容は、わたしにとっては衝撃的ではなかったです。

しかし、「めっちゃ泣いてしまった」「この本は間違いなくわたしのナンバーワンだ」などと言ってしまえる大人たちは大丈夫だろうか、と滑稽に思えてしまうのです。

神様は「わたしは神様です」とは言わへんやろ?

ただこの一文が気になった

私は、本を読むとき最初に目次を見ます。そして、その項目の中で一番気になったところをまず開きます。

その項目の内容ビビビッときたら、その本を買います。

この『かみさまは小学5年生』の場合も同じで、気になる項目が1つありました。

そこを読んでみたらちょっとビビビッときたので、最初から読んでみようかなと思ったのです。

それは

「相手の言うことが聞けないのは当たり前」

という一文でした。

この目次の内容はたった1ページでしたが、ここだけは妙に引っかかるのです。

人間は相手の言うことが聞けない。

それは、当たり前だ!

だって自分の意見をちゃんともっているから!

自分の意見を持っていない人は

どう生きていけばいいか分からないから、

人の言うことを聞いているんだ。

相手の言うことが聞けないということは

そんなに悪いことじゃない!

だって自分の意見を持っていて、

ちゃんとそのとおりに

生きているということだから!

この10歳のちょっとポチャっとした天真爛漫そうな「すみれちゃん」が堂々とこう宣言しているという非現実的な状況、これは確かに何かあるのかもしれない、そう思ったのかもしれません。

何かあるといっても、神秘とか真理とか神様とかそういうものではなく、ただの「ニセモノ」ってだけで片付けられない何か、それが何かが私は本を読み終えてからも掴めていないです。

みなさんはどうでしょうか?

書評がまっぷたつ

読むほどに、一体これはなんなんだ!と思わずにはいられませんでした。

それは、信じようと思えば信じられるし、否定しようと思えば否定できる、そんな軸のない読み方をしているからかもしれません。

純粋な自分の感想はこれ、と言えない自分がいました。

そこで、全くなんの情報もなく一読した後、

  • 「すみれちゃん」
  • 「かみさまは小学5年生」
  • 「のぶみ」
  • 「アナスタシア」
  • 「批判」

などのキーワードをいろいろと組み合わせて検索してみました。

残念ながら一番知りたかった「アナスタシア」との関係はほぼ皆無。しかし、その他のキーワードではたくさんの情報が出てきました。

その中でもいろんな人の意見が見られる「Amazonのカスタマーレビューをじっくりと読んでみました。

面白かったのは、肯定派:否定派103:79という数だったことです。

やや肯定派が多かったですが、もしかしたら身内の投稿などもあるとして、実際にはほぼ互角、もしくは否定派の方が若干多いかもしれません。しかも星5つと星1つという両極端に分かれているのです。

本物か否か。

スピリチュアル大好きでこういう話を待ってました、という感情で読んだら星5つだろうし、科学や物理の世界で生きてきて、目に見えない、証明できないものは信じられないという人が読んだら星1つかもしれない。

ここまではいろんなトンデモ本にありがちな傾向です。

しかし、この本の否定派には真剣に神様や宇宙や人間の生と死を考えてきたと思われるスピリチュアル系の方々が多いのです。

その世界を「汚された」というような意味合いのレビューが多いです。

ここまでまっぷたつの意見が出てくる本というのもなかなかではないでしょうか。

人の心を揺さぶったり、えぐったりする本、どっちにしてもパワーはある方なのかな。

わたしの心には【共感】と【失笑】が生まれた

できるだけニュートラルな感覚で読んでみました。できるだけ…。

しかし、私は私でどうしても「アナスタシア」の方にいっちゃうんです。

その件については第2弾にてまとめてみましょう。

正月から「神様」という沼にはまっている次第であります。 正月らしいと言えばらしいですね、スーです。 本日もお越しいただきありがとうご...

で、とりあえず、そういう自覚だけは持って読みましたが、もう、シーソーゲームですよ。

共感したり、「グェ」って拒否感を覚えたり。

そして、やはり結局は「この子は神様ではない」という結論に至りました。

我が子も回想していた【天使センター】

うちの子達もね、

「空の上の天使センターから来たんだよ」とか

「天使センターでも3人(娘たち)一緒にいたんだ」とか

「ママとパパが上から見えたよ」とか、フッツーに言います。

よその家の子達はどうなのかな?

母親の私がどちらかというとスピリチュアル系の方であるのは認めます。昔はヤバい方のそれでしたね。

ぶっちゃけ、子供たちがこんなこと言ったらいいな、という程で話をした事がなきにしもあらずです。

「天使センター」という言葉は子どもの造語ですが、それに近いような話を振っていたのは私たち親だった気がします。

少しでも「人はなぜ生まれてくるのか」という事について考えた事がある人なら、子供が親を選んでくるという話を信じるのかもしれません。

もちろん、それにしたってすみれちゃんの話は超具体的だし、ブレのない確信に満ちたものであるようなのですが、いかんせん現代的神様すぎて容易には受け入れられないというのが本音です。

流産という悲劇は必然?

天使センターから、子供たちが自ら選んで親のところへやってくる。

それが本当だとしたらなぜこんなにも妊娠・出産に関した『悲劇』が起こるのでしょうか。

流産もそのひとつで、この本ではスピリチュアル系お得意の「経験するため、試練、実は本心では子供を望んでいない」などという理由が当たり前のように語られます。

そんなんどうでもええよ。

私は我が子が「天使センターから選んで来た」という話をしてくれても、「面白いこと言うなぁ」くらいの感情しか湧きません。

もしそれが真実だったとしても、選んだ理由なんてどうでもいいです。

もちろん、自分が流産という経験をしていないからなのかもしれませんが、起こってしまった事はどんな理由をつけても覆りません。

先へ進むしかないんです。

試練として流産させられようが、なかなか子供が授からなかろうが、思ったより育児が苦しかろうが、今という瞬間を受け入れて生きていくことに何かしらの希望を持ちたいですよね。

すみれちゃんの、

「流産して空に帰る赤ちゃんに悲しんでる子はいない。みんな『一瞬でも地球を見れて嬉しかった』って言って、空の上に帰っていくよ」

という言葉には心がジーンとなりました。

悲しいとか、悔しいとか、なんで私たちだけとか、そんな思いを抱いてしまう残された親を、無条件に清々しい気持ちの赤ちゃんが知ったらどう思うでしょうか。

神様は人間に悲劇などもたらさない、悲劇を作っているのは人間自体なのかもしれません。

これはスピリチュアルの英才教育かも?

すみれちゃんの言葉を世に出すという事に関して、親子またはすみれちゃんのご家族でいろんな葛藤があったそうです。

すみれちゃんの言うことを信じられない人々からの心ない批判の嵐顔出し名前出しする事の想像以上のリスク、それらを知っている大人とそれに現実味がない10歳の少女。

ここでの葛藤にどうやって折り合いをつけたのか詳しくはわかりませんが、とにかく世に出て発信していくという道を選ばれた親子なのです。

ブログからスタートさせたとありますが、応援してくれる人たちの後押しもあり、講演会、映画出演、書籍の出版などへと拡大していきました。

なんとなく「天下の電通」さんの臭いがプゥ〜ンとしませんか?

これが、スピリチュアルに全く興味もなく、なんの知識もない親のもとに生まれたお子さんの話だったら、まだリアリティーがあったと思いませんか?

幼い頃から母親と一緒にスピリチュアル系の講演会に行っていたすみれちゃん、この構図は、国際結婚で生まれた子供がバイリンガルになるのと似ていませんか?

もしくは、物心ついた時には他の同い年の子供とその能力の差が歴然な、「英才教育」の賜物である子供と重なりませんか?

もしかしたら、すみれちゃんの二番煎じは簡単に登場し得るのかもしれないな、と思ってしまった私がいました。

極めつけは、この本の締めくくりに、かみさまがすみれちゃんを通して手紙を書いているというくだり。これに失礼ながら「ププ」ってなってしまいました。

みなさん、こんにちは。

わたしは日本の1ばん上のかみです。

今、わたしは、すみれの体の中にいます。

すみれの体をつかって書いています。

これは、一体全体どういう意図で巻末に持ってきたのだろう?

もしもこれが真理であるならば、なぜかコントにしか思えないわたしは罪深き人間なのでしょうか。

そういうことを考えさせるという意味では、かなり深い書籍と言えるかもしれません。

まとめ

この本が本当の善意だけで制作された、とは残念ながら思えないです。

ご本人のすみれちゃんとそのご家族の思いは別として、本の出版に関わった関係者の方々の中には、「ビジネス」ということを考えなければならない立場の人がいるのは誰もが承知の事実です。

お金儲けを目的としているわけではないとしても、そこにいくらかのまとまったお金が発生することも疑う事のない事実です。

すみれちゃんの、「私は、人前でベラベラとおしゃべりがしたいんじゃない!!かみさまの言葉を伝えたいんだ!!今、伝えなきゃダメなの!!」という気持ちが本当だと大人が判断したのなら、特に10歳の少女ということを大人がきちんと考慮して、他に何か違ったアプローチの仕方があったのではないかと、余計なお世話でしょうが考えずにいられませんでした。

もっとも、本の最後にある「かみさまからの手紙」を読んだ後では、そんな心配もするだけ無駄と思ってしまいましたが…。

あと、聞いてはいませんが、この本を読んだわたしの母親はどう感じたのだろうか。

今さらそんなことが気になりました。

興味が湧いた方は一度読んでみられてはいかがでしょうか。

ただし、その前に「アナスタシア」本を読んでいると、より面白く読めるはずです。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。





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