ー本記事は2024年2月21日に公開済みですー
肌が乾燥して汗もかかなくなる冬、乾燥肌の人にとっては一年のうちで一番厳しい季節と言っても過言ではありませんよね。
そんな厳しい冬という季節、一体どこに行ってしまったのでしょうか。スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
今年の冬はとても穏やかです。
ここ新潟でも雪の量が圧倒的に少ない。
寒い日はもちろんありますが、私なんてダウンコートも出してないし手袋もまともに履いてないですよ。
ま、在宅中心の生活をしている私が言っても説得力に欠けますが、この冬の穏やかさは多くの人が感じていることではないでしょうか。
そんな冬に脱保湿&ノーファンデを実行したのはベストなタイミングだったと、自分を褒めたい。
先回の記事からなんと2ヶ月半が経っていたのですね〜。
書きたいことは常にあるのですが、これだ!という特筆すべきことが見つからず今に至ります。
それでも脱保湿している経過をアップするには、開始後4ヶ月ってなんとなく「読んでみよう」と思ってもらいやすいのかなと。完全に後付けですけどね。
タイトル通りびっくりするような出来事は特にないので気が向いた時に読んでいただければ嬉しいです。
とは言っても、もちろん「読んで損した」と思わせない努力を惜しみませんよ!
保湿をやめて4ヶ月経過の変化
前回は脱保湿をしてから1ヶ月半経った私の顔を晒したわけですが…。
まあよくわからないですよね。シミとシワはよくわかるけど。
もっと肌のキメがちゃんと映し出されている写真をアップするべきだったとも思いますが、その一枚を見ても私史というものが分からなければ判断は完全に個人に委ねられるのみですよね。
画像があってもなくても個人解釈であらゆることを妄想され断定される、そういうもんですよね。
後述しますが、こうして自分が「肌」に執着している状況というのをしっかり自覚して「見る、見られる」という世界観から抜け出せずにいることをまず俯瞰すべきです。
この4ヶ月はそういう概念的なものとの葛藤でした。
肌がもちもちしていようがカサカサしていようが、白かろうが黒かろうが、滑らかであろうが凸凹であろうが、それはそれ私は私、と言える人が今のところの私の最強理想像です。
めちゃくちゃいい感じだった肌、いづこ・・・
12月上旬に書いたごきげんな記事にあるごきげんなセリフ
「今めちゃくちゃいい感じです」
このセリフに偽りなんて当然なかったのですが、今現在私のどこからもこれ以上のセリフが吐き出せないというのが現状であります。どこ行っちゃったんでしょうか…。
当時はいろいろと肌が変化した後のいい感じだったので、素直にそう書いたのでしょう。
その後も痒みやガサガサ、ひどい炎症やニキビなどはありません。
しかし私の予想としては、いい感じが徐々にもっといい感じに、もっと自分が思う理想の肌に、快調なステップで近づいていくものだったのです。
ところがそう快調でもなく、一進一退を繰り返しているという感じですね。
要はあの12月の時の肌が、さざ波を立てながらもキープされている、そんな感じです。
開始後ずっと荒れまくっていた唇が落ち着いた
めちゃくちゃいい感じの肌、の時から少し経つ頃、私の唇に変化が出てきました。
バリバリに硬化して毎日のように皮が剥けそうなひび割れ唇に・・・。
元々プルリンリップとは程遠い私の唇ですが、これまで塗ってきていた保湿剤や口紅の影響なのか、とにかくひどい有様でした。
しかし唇ってワセリンやらバームやらを少しつけるとまあ誤魔化せます。
うっかり皮を剥いてしまって流血、なんて日もありましたが、気になって外出できないとかは全くなかったです。
そんなバリバリ唇ですが、これがまた面白いことに一切のバリバリがなくなる日が来るんですね〜。
1ヶ月くらい続いた後ですかね、ちょっと4ヶ月も経つと記憶が…それまでは毎朝鏡で「今日も安定して剥けそうな唇やな」と確認していたのですが、ある日を境に「あれ、唇チェックしてないわ」となったのです。
乾燥してカサカサ程度はありますが、特に何かを施さないとってことがなくなりました。
今のところ再発バリバリもなしです。
【脱保湿後4ヶ月】実行しているケア
先回の12月の記事にも書いたように、脱保湿、何もしないといっても意識してやっている事がありましたね。
前々回の記事で書いていたごく少量のワセリンはもうすでにやめていたのですが、その他の上記2点はどうなったかというと?
塩洗顔からマグネシウムオイル補給に
まず塩洗顔は今ほとんどしていません。
たまにやりますが、ほとんどの日はお風呂上がりにマグネシウムオイルを押さえる、に変化しました。
何かと地味に消耗する冬には、私みたいな体内燃焼系タイプにとってマグネシウムなどの微量ミネラルの補給はとても大事になってきます。
お風呂の浴槽にマグネシウムを入れない日など、マグネシウム補給という感じで肌にマグネシウムオイルをパタパタとやっています。肌に、しっかり、何かを、しているよね…。
ハンドプレスは継続中
乾燥が気になる時はオイル手でのハンドプレスは継続してやっています。
毎日しっかり、はやらないですが、やはり肌の調子を見ながらやりますね。
できるだけ夜ではなく朝の肌に。
これはもう効果云々などとは関係なく、心のお守りではないかという思いに至っております。
ノーファンデも難なく実践中
むしろ、ファンデをのせた方が肌が汚く見える気がします。
これは保湿などをしていない肌という前提ですが、そもそも販売されているファンデ、肌に優しいコンセプトで作られているパウダーファンデでさえ、まず肌を保湿してから使うものですよね。
なので、そのままの肌につけてもうまく馴染まないのは当たり前なのではないでしょうか。
それでも基盤がしっかり整っている人はそのままの肌にうまく馴染むのでしょうか?
我が家のヴェルヴェット肌(小2)もそのままパウダーをつけてましたが、見事に浮いていました。
答えはどこにもなくてどこにでもある
おあとがよろしいようで。
何もしない肌を続けてみて強く思うこと
肌に何もしないという実験を始めてから、とにかくいろんなことを考えます。
というか、肌のことは女性にとって常に付きまとう亡霊のようなプレッシャーではないでしょうか。
通常、特別ケアが必要というわけではない肌の場合、見なければ見ないで何の困り事もないですよね。
それがひとたび「気になる」「比較しちゃう」「納得いかない」となれば、もう頭の中は亡霊優位ですよ。
私なんかも、このようなハードな実験を始めたばっかりに亡霊現るでしたよ。
でもね、その亡霊、見えないがゆえに余計圧力を感じる存在、ではなくしっかりと意図して見ていくものに変換できたら、覚悟が決まるんです。
肌って本当に毎日違うんです
何もしない肌、これが46歳の私の肌にとって合っているのか合っていないのか、その答えはまだ出せないですが、ここまで4ヶ月何もしないでやってみた感想として
肌表面のテクスチャは日々違う
ということです。
美容部員だったり美肌研究員の方などは、その日々の肌質の変化も踏まえた上で一定レベルの綺麗な肌を維持するように努めているのでしょうか?
それだったら本当に頭が下がりますね。
季節によって違う、そんな大雑把な観測ではないんですよ、毎日違うんです。
これね、私だけなん?とも思いまして子どもたちの肌を触ったり観察したりもしてるんです。
やっぱりね、違いますね。
みなさんは気づいてましたか?
なので私はその、日々違う肌をさらしてその日その日を過ごしているわけですが、比較的調子がいい時に会う人には「いい感じ」と思われ比較的調子が悪い時に会う人には「あれ?大丈夫?」と思われたりしているのかな。
人は基本的に顔を見ながら話をするわけですから、やっぱり肌を含めた顔の感じ、表情、ってものすごく観察されますよね。私はします。
この4ヶ月、自分が実験しているという状況であるから余計に人の顔を観察・考察している気がします。
どこを目指しているのかを見失わない自分軸
それにしても美肌って本当に七難隠しますね…。
と思っている時点で亡霊にやられているんですけどね。
肌にコンプレックスがあった私にとってこの牙城を落とすこと自体が至難の業です。
ではそのコンプレックスって何?
というと、これまた至極シンプルで、ただのしょうもないプライドと嫉妬なのかなと。
肌がきれいだと認められてなんぼ
肌が白い方が良く見えるに決まっている
肌さえきれいになれば存在価値が上がる
どうですか、この痛々しいワード。
もはや差別用語に近くないですか?
これはそのまま、ひっくり返ってそうじゃない肌は存在価値が下がる、と容易く導かれますよね。
正直若い時はこれに近い感性のこともありました。というかつい最近まであったかもしれない…。
もちろん、肌の状態からその人の健康状態や生活習慣を推測できるという点においては一理あります。
で、ここからですよ。
覚悟した私はどこに向かって実験を続けるのか。
答えは簡単。
肌について無頓着になる
これに尽きます。
一旦無頓着になってみよう
書いていましたよね、数ヶ月前の私。
寝ても覚めても気になっていた自分の肌状態に対して無頓着になっている自分がいる事がびっくりですよ。
「あ、私今脱保湿作戦決行しているんだった」というくらい気にならなくなった肌状態とは
おや?もうなってた!?
このまま納得肌にゴールイン!という勢いも感じますね。
さらに、そんな事を騒いでいた記事をアップした直後に、お会いしたお久しぶりのママさんにこうまで言われたのです。快諾くださったので恥ずかしげもなく晒しますよ〜。
おやおや?もうゴールインしてた!?
自覚はそこまでなかったのですが、こんなにもストレートなお言葉をいただけただけで、もうそれだけでゴール…
でええやんと思うでしょ?
ところがどっこいなんですよね〜。
肌に関しては自分が納得できていなかったから、これでええなとならなかったわけです。
もちろん飛び上がるほど嬉しかったし、このママさんの言葉にある「きれい」というのは、私がこだわっている肌のレベルどうこうとは違うところにあるかもなぁと思ったのです。
それがね、一番嬉しかった!
きれいさって人それぞれだし、逆に私も肌がきれいだからその人がきれい、と人を判断することがゼロではないにしてもほぼなくなってきました。
話し方、笑顔、気遣い、信念、共感性、センス、
ありとあらゆることを複合的に捉えて、きれいだとか美しいだとか感じるものですよね。当たり前すぎていちいち考えもしないかもしれないけど。
近しい友達に面と向かってそう言える彼女の方がよっぽど素敵なんですよね。
で、ですね、肌のことどこいった?ですけどね、そうやって私は私なりに肌をレベルアップしたいという目的に向かって今は走っていますけど、肌のレベルアップには一旦肌のことに無頓着になって日々の生活を生き生きと楽しむことこそ必要だと思ったのです。
やるべきことをコツコツやる
失敗だと思ったら勉強してやり直す
自分の肌を信じてある程度は放任する
内側から輝きを引き出して肌に美しさを宿す
一気に壮大なビジョンになりましたね…。
鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあ〜れ?
問いかけすぎると奈落の底に落っこちそうですよね。
まとめ:肌のきれいさイコールその人の美しさでは全くない
特筆すべき事がないままに書くブログほど危険なものはないですね。反面めっちゃ楽しく書けるんですけどね。読んで損、しちゃった?
結論にもありますが、この4ヶ月の間に何度も私の脳裏を駆け巡った思想、
「私は肌がきれいになりたいのか、美しくなりたいのか、それを誰かに認めてもらいたいのか、認められたら終わりなのか」
病気か?ってなりますよね…。
もちろん病的に鬱々と思考していたわけではないんですけど、やっぱりどこかで「こんなすっぴん丸晒しの私と会っててみんな何を思っているんだろう?」と内心懸念があったのは事実です。
いやいや誰も何も思ってないよ、なんですけどね。
メイクすることで自分に自信が持てる、という普遍的心理が存在しているくらいなので、お顔ヌードってちょっと引け目を感じる、ということが今回のことでよく分かりました。
次回は何ヶ月先になるか分かりませんが、今のところ記事に書いた通りのことを継続していく予定です。
季節が冬から春になるということも踏まえて、また面白い展開をご報告できるだろうと軽い約束をして終わりま〜す♪
そういえば、肌のことについての質問や野次など、何でもいいのでコメントいただけると嬉しいです!
コンタクトフォームからでも、公式LINEからでも、SNSのDMからでも、お待ちしています。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。