ー本記事は2018年4月6日に公開済みですー
嫌なこと、嫌な気分をしっかりと味わって、発散させる。
そしてあとは寝たら大体忘れてしまう、スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
“人生”なんて言ってしまうと、壮大なテーマのように聞こえてしまいますが、
今や、言霊やら脳科学やらポジティブシンキングやら引き寄せの法則やらやら、
ちょっと調べれば、いや調べようとしなくても、言葉の力に関する情報が身近に溢れている時代ですよね。
今回は、私自身もまだまだ実践中で、
これは絶対そうだ!
と言い切って良いものだろうかと思うテーマですが、
実際に感じたことや調べたことをベースに、言葉の力を紐解いてみたいと思います。
言霊とは
言霊って聞いたことがある人がほとんどだと思うのですが、いつ頃から認識されているのでしょう?
言霊とは・・・言葉に宿る霊の意味。古代の日本人は、言葉に霊が宿っており、その霊の持つ力が働いて、ことばにあらわすことを現実に実現する、と考えていた。
神社や教会などで何か祭事、神事が行われる際、一般的に音や言葉が節々で重要な役割として挿入されますね。
これは洋の東西を問わず、禍々しき(まがまがしき)魂や霊を追い払い場を清める働きがあるとされています。
- 神事での祝詞、太鼓や拍手
- カーニバルでの歌に合わせた笛や鐘、太鼓
- 中華圏での春節の時の爆竹
などが例としてあげられます。
かなり昔から人々は音や言葉の力を感じていたのですね。
しかし、私もそうでしたが、古くからこうした信仰があり、映画がやメディアで話題にのぼる際には霊的な効果や神秘的な展開が紹介されることが多いせいか、
言霊=非科学的なオカルト思考
という思い込み、ありませんか?
脳科学で【言霊の力】を証明
脳科学や心理学という分野の飛躍的な発展のおかげで、これまでグレーゾーンだったことも次々と科学的に証明されています。
そのひとつが言霊、いわゆる言葉の作用と脳の関係です。
脳って実はバカ?
聞いたことがある人も多いと思いますが、
「自分が発した言葉は自分に返ってくる」
これもパッと聞いただけでは、スピリチュアル的な香りがします。
しかし、その本当の意味は読んで字のごとく、
ということなんです。
脳ってものすごい可能性を秘めているまだまだ未知数の器官であると同時に、アホなところもあるんです。
そこを利用して錯覚を起こさせることはいとも簡単なのです。
1つには「あなたたちは、バカだから勉強ができずに成績も落ちる!」と言い続け、
もう1つには「あなたたちは、優秀だからもっと勉強すればどんどん成績が上がるよ!」と言い続けました。
結果、ご想像の通り、見事言葉通りになったという研究結果もあります。
バカとかアホとかではなく、単純でピュアなのか・・・脳よ。
言霊を使って脳をだます!?
自分が誰かに言った言葉だから自分には関係ない?
独り言だから何の影響もない?
いえいえ、脳はそう判断しません。
だって脳はアホな一面がありましたよね。
こちらが意図しようがしまいが、それは変わりません。
そうです、簡単に騙せるんです。
私たちは、この世に生まれてからこれまで多大な言葉を受けてきました。
その影響で、自分がそうだと思い込んでいるコンプレックスなども少なくありません。
それらを、自己啓発的な方法よりもっと現実的で簡単に、すぐ実践できる克服方法、
それが言霊による自己暗示なんです。
自分の言葉ほどリアリティを感じられるものはないですよね。
まとめ:良い言葉を自分のためにも他人のためにも
私はもともといじけ癖がありグチや文句も多い方でした。
関西生まれ関西育ちのため、小さい頃から日常的に
「アホやなー」とか「あかんあかん!」「腹たつなー!」
など、キツめの言葉を使ってもいました。
それが悪いとは思わないですが、
毎日毎日そういう言葉ばかりが飛び交う環境と、それらが全く皆無で誰をも傷つけない言葉だけの世界、どっちが素直な子供(大人も)に育つでしょうか…。
私はずっと、素直になれないというコンプレックスがありました。
心の中とはちぐはぐな自分を外に向けて出し、そのギャップに自分が苦しみイライラを人にぶつけるということもよくありました。
実家を出て、地元を離れ、世界が一気に広がったと同時にいろんな地域のいろんな人と出会いました。
そして
「人ってこんなに素直に生きられるの?」
と衝撃を受ける出会いもたくさんありました。
育った環境だけが要因ではないにしても、浴びる言葉のシャワーの影響は少なからずあるはずです。
そして、自分もそうなりたいと思うようになりました。
その頃から今でも私が実践していることは、
「ありがとうございます、ごめんなさい、許してください、愛してます」
を毎日唱えることです。知る人ぞ知る、『ホ・オポノポノ』ですね。
キレイな言葉を自分に浴びせるというシンプルな習慣。
自分にも子供が生まれ、その子たちが言葉を持つ前から、私たちは様々な言葉のシャワーを浴びせてきています。
その影響力をしっかり自覚して、
子供たちの人生を自分の言葉で狂わせないようにしたいものです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。