ー本記事は2018年9月9日に公開済みですー
2019年秋には幼稚園・保育園の無償化が始まりますね。
タダで子供を預けられると、もろ手を挙げて喜んでいる方も多いかもしれないですね。
しかし、状況が一気によくはならないだろうし、タダという響きの裏に隠された何かしらの負担はあると思っていた方がいいですよね、スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
子育て論や教育方針には、これといった正解はないと思います。
ただ親の理想とか大人の常識的な視点でのマニュアルみたいなものがあるだけで、全ての子供には当てはまらないですよね。
幼稚園・小学校・中学校に通う、通わない。
就職をする、しない。
結婚をする、しない。
どれも立派な選択肢です。 そう思える大人でい続けたいなと思います。
3年保育には抵抗がある
ここからは主に私という一個人の意見で展開していきますが、そうじゃないことを否定しているつもりはないです。
人にはその人なりの考えや思いがあるのが当然で、そこを否定する気はないです。
ただ、私がこうして意見をアウトプットすることが、ひいては他の誰かの考えを否定してしまう形にはなるのかもしれませんね。
それはきっとお互い様です。
そこに嫌悪感を抱いてしまった方は、おそらくそこが自分にとって触れてもらいたくない見せられたくない、一番ヒリっとしてしまう心の闇なのかもしれません。私も同じです。
長女は1年保育
現在小学2年生の長女、彼女が幼稚園入園の年に今の地域に引っ越してきました。
私の頭には「幼稚園入園」はなかったのであっさりスルー。
しかも小学校入学までスルーしようという勢いでした。
どうしても、3歳や4歳の一番成長していく時期の我が子をじっくり観察できないことに抵抗があったのです。
3.11大震災の直後で、公的機関を信用できない精神状態だったということもありましたね。
結局最後は、旦那の意見も尊重して、年長さんになる年に3女も生まれてテンテコ舞いだったこともきっかけになり、幼稚園入園しました。
普通の子が幼稚園に通っていた2年間、彼女は妹と私といつも一緒でした。
時にはスーパーなどで不思議そうに見られたり、支援センターで質問責めにあったりもしましたが、本人はいつも天真爛漫。
ありがたいことにこんな私達を温かく受け止めてくれた地域の方々や、サークル・支援センターの方々、いつも支えてくれた友人達のおかげです。
5歳の頃には、 「〇〇も幼稚園に行ってみたいなぁ」 としばしば口にするようになっていたので、そのタイミングで入れたのは本当に良かったです。
次女は2年保育
次女は唯一、私と2人っきりの時間がなかった娘です。
生まれた時からお姉ちゃんと一緒、お姉ちゃんが幼稚園に行き出してからは妹と一緒。
そんな次女も、実は長女が年長の年に年少で入園できる年齢でした。
しかし、2人同時に入園とか私が無理、とハナからスルーですね。
年少と年長では帰宅時間にもズレがあるし、行事も重なると大変です。
もう少しゆったりと、赤ちゃんと一緒の時間を私と過ごして欲しかったという、親のエゴもあったかもしれません。
ところが次女には、長女にはなかった、姉の幼稚園への送り迎えなどの、直接幼稚園に関わるという経験がありました。
行事や参観にも一緒に参加していたし、なんなら姉づてでお友達まで出来ました。
これは嬉しい誤算でしたね。
翌年、年中の入園願書受け付けの時点では「行かない」と言っていたので、そのままもう1年一緒かなと思っていましたが、もうすぐ春休みというギリギリのタイミングで「やっぱり行きたいな」 と言い出しました。
普段から自己主張が弱い次女のこの一言は効きましたね。
幸い、園側もウエルカムな対応をしてくださったので、めでたく年中からの入園となりました。
さて三女はどうする?
姉2人を幼稚園に通わせて私が思ったことは、やっぱり3年間通わせるのは無理だな、という率直な感想です。
子供を幼稚園に通わせることでむしろ私の自由がなくなるし、見当もつかない人たちとの直接的な関わりが発生しますし、なんかいろいろ大変だなという思いの方が強いです。
姉たちは途中入園にも関わらず、先生方や子供達、ママ達がなんの壁もなく接してくれたので、本当にありがたかったです。
子供にとっては良かった面の方が多いかな。
では、わがまま放題、イヤイヤ期真っ盛りの三女、この小さなモンスターをどうしましょうか…。
おおよそ周りの意見は「これは幼稚園に入れた方がいいよ」ですね。
私もそうなのかなと最初は思っていました。
でもやっぱりまだ早い気もします。
決まらない・・・。
三女入園前に私が始めた在宅ワーク
これ、決まらないのには理由があります。
私が三女の保育をしっかりとやれるのか?という疑問があるからです。
これさえなければ即決で「入園はしない」です。
でも、三女がしっかりと歩き出すようになった頃から、私が在宅ワークを始めたのです。
このブログ運営ですね。この記事↓↓↓の有り様ですね。
完全フリーだった上2人の時とはまるで違って、
支援センターには行かない、
図書館からも足が遠のく、
サークルにも入らない、
公園にも行かない、
とにかく自宅で過ごすことがほとんどになりました…。あちゃー。
私の中では、もちろん全く放置しているわけでもないし、関わっているつもりではいます。
しかし、子供にとってどうなのか。疑問はありますよね。
そして迷う、入園か自宅保育か
話がわかるようになった三女に直接聞いてみたら、
「〇〇もねぇねみたいに幼稚園行きたい?」
「うん」
「じゃ、ママに行ってきますして1人で先生やお友達と遊べる?」
「ううん」
まーそらそうなるか。まだママと一緒がいいですよね。
親が収入の多い少ないに関わらず、時間をさいて仕事をしているのであれば、育児はそれなりの機関に任せるべきかもしれない?
この成長甚だしい、人生の中で最もかわいいと思われる時期を一緒に過ごせないのは心苦しい?
答えはふっと心に降りてくるのかもしれないですね…。
子供はほっといても育つ
本当に子供の生きる力、あれやりたいこれやりたいという好奇心って凄まじいですよね。
この力を備えている子どもというのは、大人が心配するよりもぐんぐん成長していくと思うんです。
ただ、その成長の仕方に納得できないのは親(大人)なんです。
ただでさえ芽を摘み過ぎる大人たち
親に限らず、この世は大人のモノサシでしか子供を見ることが出来ない大人だらけですよね。
自分の子がやったら許せないけど、他人の子なら許せるとかないですか?
その時点で立派な子どもの所有物化です。
私は日常至るところで子供の芽を摘んでいる自覚があります。
それは、
時間内にこれだけのことをして欲しいとか、
他の子は出来るのにうちの子は出来ないのはおかしいとか、
私は子供の頃出来ていたのにとか、
様々な思惑が脳裏をよぎってしまい、つい…。
これ、子供の言い訳と同じですよね・・・。
大人なんてこんなもんなんです。
自分が子供の時もそう感じたことなかったですか?
ただの放置と観察しながら放っておくことは違う
天才少年・少女と呼ばれるような子供達は、たいてい好きなようにやらせていたという親に育てられていますよね。
あの天才棋士「藤井聡太」さんも、将棋に明け暮れた少年時代を送っていますが、以前見たテレビの特集ではお母様の懐の深さが際立っていました。
そばに寄り添いながら子供の自由意志を尊重する。
子供といえど1人の人間としてきちんと対峙する。
親の間違いを素直に認め、子どもを頭ごなしに叱らない。
それが出来て初めて、「観察しながら放っておく」自宅保育が成立するのかもしれません。
それには一緒に時間を過ごす母親や父親の覚悟や強い意志が必要ですね。
自宅で子供とどれくらい向き合えるかが私の課題
在宅で仕事をしながらでも満足のいく育児ができるのか。
そこが私の課題ですね。
今の私の状況から考えると、とても満足とはいえない状態です。
これなら「幼稚園に入れた方がいい」という家族の意見も受け入れなければならないと納得できます。
どちらが本当に子供に合ったほったらかし保育なのか、その判断を誤らないことも重要です。
でも、もしこの状況を自分で変えることができたら、まだまだ自宅保育の可能性はあるわけです。
できれば娘が自分から「私も幼稚園に行きたい」と言ってくれるタイミングで入園させたいのが私の本音です。
もうしばらく考えてから答えを出そうと思います。
3歳児の行方やいかに!?
結局こんなことは悩むような事ではないんですけどね。
世間体とか、周りと足並みを揃えるとか、そういう事から解放されたら誰だって自分の子供をまるごと全身で受け入れることができると思うんです。
選択肢だってもっと広がるはずです。
叱らない育児とか、比べない育児とか、ほったらかし育児とか、
そんな議題の講演会を何回聞いても、結局元サヤの「芽を摘む親」になってしまうこと、ありますよね?
大人だって自由に選べない人生を歩んできたから、同じなんです。
でも、どこかでパラダイムシフトをしなければこの連鎖は永久的に続いていくわけです。
私はもがけるならもがいて、自分の意思で決めていく育児であり人生がいいなと思います。
で、結局幼稚園どうする?この結果はこちらの記事↓↓↓にまとめていますので、気になった方はぜひ覗いてみて下さいね〜♪
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。