ー本記事は2018年8月21日に公開済みですー
みなさんにとって「牛乳」とはどのような存在でしょうか?
私は小さい頃から「牛乳」が苦手で、この白い飲み物を美味しいと言ってゴクゴク飲める人が不思議でなりませんでした。スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
食べ物の嗜好は人それぞれ、好き嫌いもあるでしょう。
それをいちいち否定はできないし、されたくないですよね。
この歳になると、もはや理解してもらう必要もなく、無理やり口にしなければいけない状況もほぼないです。
しかし、食を提供される側の人にとってはどうでしょう。
代表的な例が、奥さんの手料理を食べている「夫」や、お母さんやお父さんの手料理を食べている「子供」などがそうです。
「これ嫌い!」
「これ食べたくない」
「たまにはあれが食べたい」
「これいらない、あれ作って!」
などと言おうものなら、
「じゃ、自分で作れば」
と、ナイフのように鋭く突き刺さり何も言い返せなくなる一言が返ってきそうですよね。
こわーい。
そしていい大人になってからも、泣く泣く強制的に食べさせられているという現実がなきにしもあらずではないでしょうか。
我が家の「夫」は何一つ文句を言わず、出されたものを残さず食べます。
そんな旦那が私たちの長期留守中に、ステーキやカレーやラーメンを好きなだけ食べていることは、微笑ましいことですよ。時には自由も必要です。
ただ、
「ずっと飲んでなかった牛乳を飲むようになったら、体調が良くなった気がする」
と言い出した時には「ちょっと待て」と。
私の「牛乳」に関する見解、ご存知ですよね?その上でそのコメント、よっぽど牛乳が好きなんやなーと呆れてしまいました。
飲みたいなら飲めばいい。
ただ、美味しいからとゴクゴク飲むにはあまりにも奇妙な物体だとは思いませんか?
牛乳の前にまず【牛】のことを知ろう
牛乳は、当然ですが牛のお乳ですよね。
その時点で飲めないな、と思ってしまうのですが、感覚的なものですから根拠はあまりないです。
それを言い出したら肉や魚、さらには卵なども食べられなくなってしまいます。
私自身、特にベジタリアンだったりヴィーガンであるわけでもないですしね。
でもどうしても、牛乳をそこまで大量に生産して飲む必要があるとは思えないんです。
飛鳥時代から飲まれていたという「牛乳」ですが、その当時の「牛乳」と今の「牛乳」では全く成分が違うと言ってもいいくらいではないでしょうか。
牛自体が別格のものであるだろうし、その牛の乳の薬効に期待して、貴族と一部の上流階級のみで飲用していたといいますから。
昔の日本人と牛は同志だった
昔は納屋で牛を飼っていた家もあるでしょう。
農作業を手伝ってくれた牛、立派な労働力でした。
食べたり飲んだりといった対象ではなく、家族の一員としての立派な働き手であった牛。
出典:白賀川地域協議会
そんな牛、紀元前から日本にいたのはご存知でしょうか?
なんの品種改良もされておらず、全くの在来和牛である『見島牛』がその頃の牛の姿だと言われています。
なんと天然記念物に指定されているそうですね。
当時は神に捧げる「いけにえ」という扱いでもあったようですが、農耕の普及と共に少しずつ身近な存在になっていき、共同生活の中で必要があれば少し食用にしたりする事もあったかもしれません。
しかし、仏教徒が多くなっていった日本ではその教えの影響と、感情的な感覚で、積極的には食べられずむしろ忌み嫌われていたと思われます。
欧米化の波とともに牛がどんどん変わっていった
そんな牛ですが、明治時代の一気に西洋文化が乱入してきたあたりからどんどん変わっていきました。
皆さんもご存知の「すき焼き」「牛鍋」がもてはやされたハイカラな表舞台の裏では、牛の屠殺場が作られたりその技術の躍進が始まっていたのです。
ペリー来航とともに侵入してきたアメリカ人やその他の外国人が、どうしても牛肉や牛乳を飲食したかったからだと思われます。
そして、牛肉や牛乳を飲食しているとアメリカ軍人のように屈強な肉体が作れる、と思い込んだ日本政府は日本兵にもそれを推し進めていきます。
こうなると、今までのように牛とともにゆったりと共存していた生活はしだいに見られなくなり、お金になる牛はどんどん売り買いされるようになっていきます。
その後大正時代には、乳用種と肉用種が完全に分岐したと言われています。
そして、国産牛が不足していき外来種がたくさん輸入され、効率の良い新たな品種を生むために和牛との交配が始まっていきます。
人が牛の命をコントロールしていった
欧米と比べ日本の国土は狭く、山岳地帯が多いのが特徴です。
北海道などの広大な地域を除くほとんどの場所は、決して酪農に適した土地ではありませんよね。
そのような国で安定的に牛乳を供給するためには、牛の数を増やすことだけでなく乳量を増やす技術が必要になってきます。
そこで、人が牛のお産を完全にコントロールし、100%人工授精していくという流れになるのです。
乳牛のメインとして思い浮かぶのが「ホルスタイン」ですね。
出典:wikipedia
この「ホルスタイン」種は長い年月をかけて骨格質で背が高く改良されてきました。
なぜだか分かります?
大きいお乳が地面につかないように、そして重たいお乳に耐えられるように、だそうです。
クローン牛なんて騒ぐよりずいぶん前から人間は牛さんの命に手入れしていたんです。
乳量が多く出るように改良された雌牛に、乳量や乳成分が優れた雄牛を交配させます。
こうしてどんどん日本のホルスタイン種の乳量が上がり、今ではなんと、酪農王国であるニュージーランドやオランダをしのぐ結果となっています。
仲睦まじく一緒に田畑を耕していた頃の、人と牛、人と動物との関係はもう戻ってはこないのでしょうか・・・。
牛乳を搾り取られるために生きる牛の乳とは
畜産動物が普段食べているものや飲んでいるものなどの、すべての食物の履歴を省みることが必要かといえば、そうではないと思います。
そんなことをしていたら私たち人間は狂い出してしまいそうですよね。
それくらい原点から遠ざかっているのです。
ただ、それをいつでも忘れないように頭の片隅においておき、時に心の底からの「感謝」を声に出してみるという事も必要かもしれません。
そして、牛乳を飲む、飲まないという議論より、「牛乳」の本当の姿を知るという事が先ですね。
乳牛の飼育環境の劣悪さ
生まれてからずっと牛舎に繋がれて一生を終える乳牛も少なくありません。
そうです、太陽の光にほぼ当たらずに生きて死んでいくのです。
同じ場所でご飯を食べ、糞をし、寝るという一生です。
ただ人間のために乳を絞られて。
このつなぎ飼いでの飼育は、酪農家にとってのメリットが大きいようで、
- つなぎ紐を短くしているので定位置に糞が落ちる
- 牛が身動きが取れないくらい狭いので、飼育面積が少なくて済む
- 飼料の奪い合いを減少できる
これらは牛にとって何かメリットがあるのでしょうか?
- 身動きが取れなくて関節炎になりやすい
- 繋がれているという過大なストレス
- 運動不足による筋力の低下
デメリットしかないですよね・・・。
乳牛の骨血を作っている飼料の劣悪さ
牛は草食動物です。
本来なら広い草原で自由に草を食んで大きくなっていくことでしょう。
ところが乳牛として飼育されている牛たちは、草メインではない穀物メインの餌を与えられています。
牛たちはこの穀物飼料を喜んで食べるそうです。
穀物は糖質がたっぷりで美味しく感じるし、依存性があるからです。
乳質や乳の出をよくするためには、穀物飼料が必要なのです。
しかし、本来の草とは違い、トウモロコシや大豆、米ぬかといった原材料を中心に配合されている穀物飼料は、非常に栄養価が高く高カロリーです。
そんな牛の餌に有機栽培で無農薬のものが使われていると思いますか?
当然のように、遺伝子組換え飼料、さらに牛が病気にならないように抗生物質混入、そして輸入の際に散布されるポストハーベスト、殺虫剤、このようなものを食べ、骨や血、体を作っていきます。
また、このような栄養価の高い餌は牛の体には負担が大き過ぎで、内臓の病気になりやすく、乳量が減ってしまう牛もいるそうです。
そんな牛は用無しなのですぐに屠殺されるか、もしくは強い抗生物質で治療されて乳牛として復活する牛もいるそうです。
飢えることはないですが、食べる自由もありません。
牛の血である牛乳に含まれる様々なホルモン剤
飼料しかり、環境しかり、乳牛へのコントロールはすごいですね。
そして、それだけでもかなりの良くないものが含まれているのではないかと思えてしまう「牛乳」ですが、異常な状態を強いられている牛たちは、さらにメンタル面においても悪影響を受け続け、ストレスが溜まっています。
母牛と仔牛は生後間もなく引き裂かれます。人間にはわからない牛の親子の絆というものが実際にあると思えるエピソードもたくさんあります。
産後すぐに仔牛と引き離された母牛は、6週間もの間泣き続けたと言います。
それによる人工的ではないホルモンや神経の異常というのも起こっていることでしょう。
いろんな自由が奪われて、品種改良の繰り返しにより、もはや原型はどこへいったのやらわからない状態になっていると言えませんか?
また、牛が自力で出産できないのは筋力がないからです。
しまいには自力で立てなくなるまでに弱ってしまうそうですが、そこへいろんな薬や抗生物質を投与してなんとか復活させようとまでするんです。
牛のお乳は本来常に出るものではありません。
常に出るように投与されているホルモン剤のおかげで、安定した牛乳の供給ができるのです。
そして、それを飲むのは・・・私たちです。
まとめ:栄養の有無より自分が口にするものがどんなものかを知ることが先
現場を見るという機会はなかなかないですが、いろんなものの生産の現場というのは、多かれ少なかれ、消費者にとって目を覆いたくなるような瞬間があると思います。
それでも消費する側がきちんと関心を持って知っていくことが、ひいては生産の現場を変えていくことにつながるかもしれないですね。
私は肉も食べるし、魚も食べます。
「命をいただいている」という意識、忘れていたなと痛感しました。
食品の選び方も大事ですが、そのものの「命」についてはないがしろにされがちではないでしょうか。
そこからまずは考え直してみて、自分の欲求と擦りあわせてそれでも必要ならありがたくいただきましょう。
牛乳の栄養についてはこちらの記事↓↓↓にまとめていますので、よかったら覗いてみてくださいね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。