子供の自己肯定感を高めるためには大人が子供よりも劣っていると知るべき

この日本という国で生きていくためには、大人はバカでないといけません。

みなさん、あなたはバカなんですよー。スーです。

そして、どうしてもバカになりきれなかった大人は、とっとと日本から出ていくか、この世からいなくなるかを自らで選択しているかもしれません・・・。

大人の考えることなんて、ほんまにしょーもないですもんね。

この国に生まれて、あらゆる不自然なものに囲まれた環境で育てられた人間たちは、もう本来の人間の能力も素質もごくごくわずかしか残っていないでしょう。

そんな大人に育てられる子供、この子たちも当然生まれた瞬間からいろんなものを奪われ、余計なものばかりを持たされてしまうのではないでしょうか。

子供の自己肯定感?

それを見事に奪い去るのは大人である私たちですよね。

今回は、先日の我が子との会話から、「子供の表現力の差」について考えさせられたので、その根源にある自己肯定感について考えてみたいと思います。

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子供の上に大人がいるのではなく、子供こそが頂点にいる

子供には躾が必要だとか、

子供は叱らず褒めて育てようとか、

親の背中を見て子供は育つとか、

大人が自己肯定感を持たないと子供が育たないとか、

そういうことを常識にしないといけない社会、出来上がってますね〜。

子供はバカな大人に育てられなくても、自然の中にあればとても豊かな人間になるのかもしれません。

叱ったり、褒めたり、しつけたり、自己肯定感を持たせようとしたりしないといけないのは、社会のルールに当てはめたい大人がすることです。

社会のルール?

それってクソじゃないですか?

社会のルールを無視してこそ本物の親子

日本という国が独特のルールでがんじがらめになっている、その最たる象徴は「母子手帳」から始まる育児ではないでしょうか。

その前の産婦人科の存在も、まぁまぁ縛られまくっていますが、そういう環境で子供を産むしかない人がほとんどです。

子供を授かるまでは、一応社会人として働いたりしていたであろう母親、その社会のルールど真ん中にいた人にとって、「母子手帳」が「悪魔の手帳」であるなんて微塵も思わないですよね。

私だってそうでした。

母子手帳を受け取った瞬間に、感動したし母親という自分を自覚もしました。

しかし、この手帳がこの国になかったら?

母親は胎動やお腹の膨らみ、自分の体調の変化など、ごくシンプルなものだけで新しい命をめいっぱい感じることができますね。

保健指導などもなければ、近所の先輩お母さんと自分から交流したい気持ちになり、自然にコミュニケーションの輪が広まります。

いかがですか?

この姿は戦前、さらにもっと前の古代人のお母さんと同じではないでしょうか。

出産だって、自宅で行うのが普通でしたしね。

ただし、昔と違って、今はそうやってのんきに育児をしてはいられないくらい、お金ステイタスを獲得することに忙しいのが現代人なのです。

子供は愛があれば生きられるけど大人は物質がないと無理

私たちが生きていくのには何が必要でしょうか?

水、空気、食べ物、服。

生きるだけならそれくらいかもしれません。動物ですから、人間は。

しかし、豊かな生活をして楽しく優越感を持って生きていくには何が必要でしょうか?

お金、家、車、スマホ、テレビ、貴金属、友達。

細かいものは“家”の中に含むとして、こんなもんですか。

子供が生まれた環境にこれらがなければ、おそらくそんなもの欲しがることはないでしょう。

お母さんのおっぱいは欲しがるかもしれませんが、それさえしっかり与えられて、授乳中にお母さんの惜しみないが注がれ続けたら、その子はもうその時点で全てを手に入れたと同然だと思いませんか?

授乳中にスマホ(メディア)、授乳中にジャンク、授乳中に夫婦喧嘩、

こんなを注入しといて、子供が大きくなったら「手に負えない」と平気で言っちゃう大人、これは完全に大人愚かさが露呈していますよね。

この授乳中の毒は、大人が自分の手に入れているものを手放したくないから起こってしまう現象であって、それを手放すことができた人はおそらく育児に関して割と悩まないでこなせるかもしれません。

でもそんな人は日本にもごくごくわずかでしょうけれど。

子供を育てるのではなくチームとして生きたい

私だって、ジャンクマザーですよ。

誰かの批判をしているようにみえて、100%自分を見つめて言っています。

自分を含めた社会ですね。

大事なことをたくさんたくさん忘れていって、目の前の「思うようにならない状態」にばかりクローズアップしないといけない生活、その先に一体何が待っているのでしょうか。

それは、今自分がやっていることがそのまま返ってくるのだと思います。

結婚するときに、「チームを作ろう」とシンプルな言葉を放った旦那、それに共感したはずの私ですが、いつの間にかその大事なチームのメンバーたちを、自分でコントロールして都合よく取り扱っているとはいえないだろうか・・・。

子育てしながらいろんなことをやらなければいけないこの社会、そしてクソなルール、この呪縛から私たちは逃れられないのでしょうか。

理想論に聞こえますか?

私もそう思います。

理想だけでは生活はできない。

でも、わかっているのなら何かできることはないのでしょうか。

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大人が子供の自己肯定感を奪わないようにするには

ここまでで、今を生きる大人たちも知らず知らずのうちに社会の犠牲者になっていることがわかりますね。

もちろん、富や名声のためだけにしているわけではない仕事、山ほどあります。

ボランティアや慈善事業、なくてはならない職業、人が嫌がる仕事、それらを一生懸命こなしている人たちがいるから私たちの生活が成り立っているのです。

いまさらそれを全部なしにして、自由にナチュラルに生きていけるか、というと、

いや、できなくはないかも?

あれ、可能性は秘めているかも?

それは、気づいた人が子供たちにどれだけ伝えることができるかではないでしょうか。

生まれたときから一個人として接する

子供の将来を決めるのは子供たち本人ですね。

そして、義務教育が終わる頃になんとなく子供たちが自分で進路を決めていくように思いますよね。

でも、そこに至るまでのレール、大人が敷いていること、少なくないと思うのです。

子供に頼まれてもいないのに、そうなる道しかないように仕向けているとかね。

子供が医者にならなくても、ハーバード大学に行かなくても、結婚しなくても、気づけば性別が変わっていても、

それがありのままの姿であれば、それでいいですよね。

何か悪いことありますか?

そのことが人に迷惑をかけたり、だれかを傷つけたりするようなことでなければ、すべてをその子として受け入れるのが人間です。

行きたい幼稚園とかも選ばせてあげられたらどうでしょう?

住みたい家とか、食べたいものとか、そういうものを選ぶ感覚というのは年齢関係なくあってもおかしくないと思います。

ただ、環境ですよね。

メディア漬けで、加工されたものや化学的なもの、刺激の強すぎるものばかりに囲まれた環境にいる子供は、その時点で大人と同じようなものをむしろ極端に選んでしまうかもしれません。

環境が人をつくるってことですかね。

子供は基本なんでもやりたがることを知る

私たちは子供に何を教えますか?

言葉、お行儀、挨拶、勉強、時間のルール、社会のルール、などなどですかね。

では、私たちは子供たちに何をやめさせますか?

なんでも舐めること、裸足で外遊びすること、手づかみで食べること、無謀なお手伝い、壁に絵を書くこと、冬に半袖で遊ぶこと、大声でわめくこと、もっとあると思います。

生まれてきた魂は、なんでもやりたいという欲求だけはすごいのです。

教えられてやることも好きなのですが、それを型通りにはできません。教える方がそのことを理解できていればいいですが、教え込もうとすればアウトですね。

自分の肌や感覚で「やってみたい」と感じたことをやりたいのです。

それらをすべて私たちは静観し、子供が本当に満足いくまでやりきったとき、その興奮と高ぶりはおそらく脳や内臓にとてつもなくいい影響を及ぼすと思います。

そして、徹底してやり抜いたら、自分で要不要が判断できるのではないでしょうか。

これ以上はいいと自分で判断したら、それ以上やりたがらないし、次の興味へとどんどん繋がっていくかもしれません。

それが子供の経験値、幅、能力、センスとなって最終的にはプラスになるでしょう。

子供が最も自己肯定感を失うところとは?

日本にも、子供にできるだけ自由にのびのびさせて、上手に見守ってくれるような保育園や幼稚園はたくさんありますね。

しかし、そういうところで育った子供たちも小学校に上がったらどうでしょう。

裸足でいては怒られ、時間が守れなければ怒られ、勉強ができなければ置いていかれ、友達と喧嘩をしたら問題児扱いされ、給食を残すことが悪とみなされ、とにかくはみ出ていたら否定される

そんな日々になることは大いにあり得ます。

せっかくの自己肯定感、ズタズタにならないとも限りませんね。

さらに中学高校と進むにつれ、それはどんどん進むはずだけど、どっかで麻痺していくのでしょう。傷つきたくないから・・・。

自己肯定感を高める唯一の方法、それは?

日本の義務教育を受けないこと、もしくは、

世の中の仕組みがこういうものだということだけは、大人が教えてあげればいいのではないでしょうか。

もちろん、そうやって生きていくためには大人もまた、物質欲やプライドを捨てないと無理でしょうけれどね。

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まとめ

子供にどんな風に育って欲しいかとあれこれ願うことは、親であれば当たり前かもしれません。

礼儀正しく友達とも仲良くできて、勉強もそこそこ、スポーツもバッチリ、親の言うこともよく聞いてくれる賢い子供。

挨拶は苦手、友達も少なく人見知り、勉強はいつもビリ、運動は好きだけど結果が伴わない、親の言うことなんてまるで聞かないダメな子。

これは両極端ですが、その子を評価する指標は本来何もないはずです。

親になった大人に成績表がないのと同じで、子供にだってそんなもん必要ないですよね。

子供を評価する大人って、なんか違和感ないですか?

育児、教育、社会のルール、これらがこの世から消えたら、いじめも自殺も虐待も無くなりませんかね?

子供との会話から、子供の可能性について考えさせられ、そこから子供と大人のあり方を自分なりに考察してみました。

同じように思っている人がいればすごいなと思いますが、そう思っている人がやれることは、サークルやコミュニティーを立ち上げて活動することではなく、自分の子供たちにそれを伝えていくことが最優先ですね。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

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