ー本記事は2018年12月13日に公開済みですー
久しぶりに家づくりについて書いてみようかなと思います。
家づくり、家探し、現状何も進んでいません。
「素敵な家への憧れ」がほのかにあったはずなんですが、最近はそれすら消えかかっています、スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
私なんてまだいい方で、旦那においてはもはや新居への関心は皆無に近いです。公言してます。
では、いったい我が家の住まいは今後どう展開していくのだろう、とふと考えてみたんです…。
夏にも、家づくりをブレイクする云々の記事を書きましたが、現在はブレイクからの冬眠に入る様相を呈しています…。
ひとはなぜ『家』を建てるのか?
はい、出た、そもそも論。
自分がなかなかその決断を見出せないときに、その物事自体の必要性を根本から考察してみるというやつです。
これは、本質を見ようとしている風に見せかけて、単なる気休めであり、逃げであり、本質ずらしでもあるかもしれません。
でもいいです。今の私にはこの考察が必要なんです。
そして、私と似たような感情の方がいるとすれば、きっと何かしらのヒントになるはずだと信じてまとめていきたいと思います。
家族が満足して住める『家』がないから?
家、自分が生まれた家。
そこから、家族が増え、生活スタイルが変わり、社会構造が変わり、先祖代々の家は不要の産物になる。
新しい土地に新しい家を建てる。
そこに子供が産まれ、子供の成長とともに家に住む人が少なくなり、また不要の産物となる。
人が本当に満足して住める家って、あるのでしょうか?
建てた瞬間は満足かもしれませんが、その満足がまた満たされなくなり、次の新しい家が欲しくなる。
そういうループもあると思います。
住宅雑誌やカタログなどに載っているキラキラした家たち、そのキラキラが一瞬であることも事実ですよね。
もちろん、年数とともに味が出てまた違った良さを持つのも「家」です。
しかし現実には、自分が老いた時のことまで詳細に考慮して家づくりを行うことは難しいのではないでしょうか。
自分の趣味に合わせた造りの居場所が欲しいから?
ただ食べて寝て生活するだけの「家」ではなく、自分が一生涯続けたい趣味や在宅ワークのために、それに合わせた構造を持った家に住むということも、家づくりのきっかけのひとつかもしれませんね。
それは今までの住まいではかなわない部分もあるだろうし、場所も検討し直す必要も出てきますね。
単独でそれを行う人はいいですが、既婚者で、すでに家族を抱えてそれぞれの生活のベースが整っている中での引越しとなると、ちょっといい迷惑でしかないですけど…。
素敵な家に住んでいる人になりたいから
なんじゃいそれ!
と思いました?
でもね、これ、家を建てる人のほとんどが心の隅っこに持っている感情だと思うんです。
”プライド”ですね。
特に今の時代はこれが中心で世界が回っている気がするんです。
SNSや動画配信サービスがごく当たり前に私たちの生活に浸透しています。
1億総情報発信者の時代です。
自分を見せること、自分を表現することが簡単に可能なこの世界で、なんの取り柄もないと思っていた普通の人が自分の生活を情報として発信するだけで「いいね」と評価されるんです。
これは自分の住まいをネタにできるということですよね。
まさか、インスタに投稿したいから家を建てる、なんていうストレートな人はいないでしょうけれど、それに近い感覚は誰しもあるのではないでしょうか。
現に、私も家づくりを考えている最中にブログを立ち上げたのは、その魂胆がはっきりとありましたよ。
「ネタになる」
『家』いる?
こわ。
これ言っちゃって、大丈夫?
はい、もう本音でいきましょう。
今の我が家の空気はこの「家いる?」風が吹きまくっています。
もし希望の場所に希望の額でとてもいい物件が出てきたらどうするか…、それすら危うい感じになってますよ。
結局家が建たない人の言い訳?
条件に合った物件が出ない、
親が反対してくる、
ハウスメーカーが決まらない、
などいろんな言い訳を並べて家づくりに消極的になる人も少なくないと思います。
こんな意見を見つけました。
「家を建てたい」と言っている人がみんな家を建てられるわけではない。その差は何かというと、収入でも貯蓄額でも職業でもなく、つまるところ「夫婦仲」である。
夫婦間で、人生のベクトルが合わないから。
これはあると思います。
家ってほとんどの場合夫婦で決めていく買い物ですよね。
たまに、
奥さんに投げっぱなし、
旦那さんが暴走しすぎる、
両者がこだわり過ぎてぶつかる、
なんていう例も見ますが、夫婦で話し合って『家づくりの軸』が決まっている場合は、割とスムーズに進んでいくのではないでしょうか。
では、夫婦で話し合って『家づくりの軸』が決まっている我が家、一向に家が建たないのはなぜ??
最近ようやくわかったんです…。
どこでも幸せやなぁ
我が家の家づくり検討のきっかけは、娘たちの校区問題とアパート狭い問題でした。
長女が入学前に本格始動したものの、その時は結局決まらず頓挫。
いろいろ、モデルハウスとかハウスメーカーさんの話とか物件見学とかで情報を見てしまうと、
「いいなぁ」
「こんな家で暮らせたらなぁ」
「子供たちも喜ぶだろうなぁ」
そんな夢がわかないはずがありません。
周りの友達なんかも立派な家を建てている人がほとんどです。
でも、その時の私の感情のほとんどが、
「私だってみんなよりずっと素敵な家を建てたい」
というものだったと認めざるを得ません。
”みんなより”ってなんやねん。
表向きの家づくりの軸とは別の、裏の軸がそれだったんですね。
それに気付いてしまうと、なんか、家、いる?
ってなるのかもしれません。
ただ、家づくりを断念して現状に不満を持ちながら過ごす暮らしというのは、何も向上せず張り合いのないものになりかねません。
その点私たちは、このアパートで工夫を凝らしてなんとか欠点をカスタマイズして暮らしていると思います。
私たちには十分な住まいがここにある、そう思って過ごせることの幸福さにようやく気付きました。
「子供たちが巣立ったらどこに住みたい?」
これは余談ですが、旦那の裏の軸は完全にキャンプです。
キャンプがあるから家はどうでもいい、そこに特別こだわらない、そんな感じになってます。
そして本人は気づいていないかもしれませんが、そんな感情が一人歩きし、一応家探しをしている程の私に放った一言、
「子供が巣立っていったら、どこに住みたい?俺は新潟じゃなくてもいいと思ってるけどな〜」
いや、家探し辞めたとか言うてませんけど…。
まあ、住み替えの話かもしれませんけどね。
それくらい今「家を建てる」ということにこだわりを持たなくなり、逆に「家に縛られる」という思いが強くなってきたのかもしれませんね。
まとめ
我が家の家づくりがこうした流れになった背景には、100%「キャンプ」が関係しているでしょう。
キャンプを始めてからその楽しさに目覚め、荷物も増えてきたし、家も大きくしたいなぁという流れだったはずが、気づけば、
なんか今のままで十分楽しいなぁ、幸せやなぁ。
ってなってしまったという…。
今はね。
そして、今のアパートの住まいにただただ不満をぶちまけるより、この暮らしの良さを再発見し感謝していければなと思います。
暮らしの向上は、制限のあるアパートでもいかようにでも叶うものかもしれません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。