ー本記事は2022年3月22日に公開済みですー
いよいよ、卒園・卒業、入園・入学の季節ですね。
3年前のこの時期、鼻と口を布で覆った子どもたちの式典写真なんて異常でしたよね。
現在、そのような写真を見て即“異常”だと感じることができる親御さんはどれくらいいるでしょうか…。
スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
ああ、もう異常を異常と認識できなくなって久しい人が多い世界になってしまっているのか…。
他人がどういう選択をしようと、私が介入してどうこうするのはナンセンスだと思っていました。
しかし、先日の娘の卒園式において、ここまで、ここまで子どもたちの尊厳を踏みにじる権利は、たとえ実の親であろうと、ない、と確信したのです。
この記事を読みにきてくださる方は“異常”の認識バッチリの方ばかりだと思いますが、
もし少しでも「おかしさ」に気づき始めた方が来られた場合を想定して、子どもの体と心をこれ以上大人の都合でコントロールするのを辞めるにはどうすればいいか、を一緒に考えてみる記事にしたいと思います。
いまさら・・・
ではなく、ここが肝腎要の分岐点です。
ワクチンでもワクパスでもなく、マスクこそが分岐点なのです。
「マスクぐらいしとけばええやん」で魂売り飛ばせますか?
私や我が子たちの全顔晒し姿を見て、多くの人が「マスクぐらいしとけばええのに」という感情を抱くことでしょう。
もちろん実際にそう言われたこともあります。
「マスクぐらいしといた方がめんどくさくないやん」
コロナ騒動開始から数ヶ月目ではっきりと「いち抜〜けた」と自覚した私には、そんなセリフが全く響きません。
何がそうさせるのか自分でもよくわかりませんが、とにかく私は乗っかれないと自覚してしまったので、もうそこからは茨の道ですね。
わかりやすい言葉でいうと、魂売っちゃった方が全然楽。
でもそれができない、難儀やねぇ。
では聞きましょう「なんでマスクしてんの?病気なの?」
またそんな屁理屈を言うー。
ですよね、ですです。
屁理屈でもこねてないとやってられませんので。
マスクってどんな時にどんな風に装着すべきか、多くの人はそんなこと調べずにつけてるんでしょうね。
そして根拠のないマスク生活に不信感も違和感もないのでしょう。
それは別に自分もそうだったのでいいのですが、なんにも症状も異変も違和感もない身体状態においてマスクをつける意図ってなんなのか、純粋に問いたいです。
「世間体」以外の答えがあるのならなおさら聞きたいです。
ちょっとでも症状があったり風邪っぽかったりするのであれば、その方の前提としてコロナかもしれないわけなので、マスクをしてきちんと2時間おきに新しいマスクと交換するなどしないとそれこそ無意味ですよね。
っていう当然のことを理解も対策もしてない人が、ノーマスクに対して文句は言えないんです。
だから、私たちがノーマスクでウロチョロしていても大抵なにも言われません。
これまで数名の方に言われたことがありますが、まぁ、私がそれでマスク装着に至ったことはないですね。
それぞれが設定している前提が違うから難しい
私の情けないところは、前提が違う人たちに対してこれまで傍観を貫いてしまったことです。
前提が違う、というのは、人が常時マスクをしなければいけないほどに怖いウィルスが蔓延している前提派と、それ全部嘘前提派。そう全部なんですよね…。
特に娘が通う幼稚園において。
3歳児さんからみんなきちんとマスク。そんな園において、なぜもっと声をあげてマスクを外させてあげなかったのか、そこは卒園を迎えてからも悔やまれたところです。
少し介入してお話ししたことはあります。
チラシを渡したこともあります。
実際、子どものマスクに不信感を抱いていたママもいました。
が、結局動く人はいませんでした。
のわりに、そういうお母さんたちって毎日めっちゃ密で長時間のご歓談を欠かしません。あ、皮肉っぽい。
みんなと一緒が心地いい。
だよね〜。
じゃ、いっか。となってしまっていましたね。
苦手なご歓談でも頑張って入っていって、そこでなんとか子どものノーマスクを提案するきっかけを掴むことはできたかもしれない。
そしたらあんな姿の子どもたちの卒園式は免れたかもしれない…。
マスクを外すタイミング、つけるタイミング、マスクを置く位置、あれ全部練習させられたんだろうな。
でもやっぱり、前提として「恐怖感」を抱いている人を「大丈夫だよ」と説得するのって難しいですよね。
そういう人に限って食べるものや基本的な生活習慣にはほとんど気をつけていなかったりするし、気をつけてる人は途中で気づいて話に耳を傾けてくれますしね。
こんなことを書いていると「自分が正しいみたいな言い方が気になる。上から目線で物事を判断している。医療従事者の方に感謝はないのか」というご意見をいただくこともあります。
だって人生って自分の想いひとつですよね?
自分と違う意見が気になったり腹が立ったりするということはどういうことなのか、まずそこを問わないと人生なかなか楽しめないと思います。
いつか外せるだろうという妄想を捨てない限り外せない
今みんながマスクをして予防に努めないとマスクが外せなくなっちゃうよ。
そいう主張、ありますね。
では、なぜ国民の9割以上が真面目にマスクを装着して生活している現実世界で感染者数として発表される人が絶えないのでしょう。
増えたり減ったり。
選挙前は減ったり、連休前は増えたり…。
マスクをしてない人の方が元気ではないですか?
自然な生活、圧迫のない呼吸、雑菌繁殖布に覆われていない、から当然なのですが、どうしてもノーマスクの人のせいで感染が止まらないみたいになってしまいます。
国のトップに「マスクを外していいよ」と言ってもらいたい人たちって、多分ずっと外せないし、その後の人生も舵取りはお国の役人さんにおまかせ♪
小学校や幼稚園に対して私が提示したマスク拒否の見解
このコロナ事件がなければ、私が幼稚園や小学校の施策について何か意見する、ということはなかったかもしれません。
ことなかれ主義であることは否定できないので、できるだけ穏便に、目立たぬようにしていたかった。
そんな自分の殻をこんな形で破ることになるなんて、人生って“いとをかし”ですね。
たかがマスク1枚で、私は幼稚園と小学校に何度も掛け合いました。
ただし、他の方もされているように「マスクの弊害」などがまとめられた資料や「マスク意味なし」の公的文書の提示などは一切していません。
それでどうやってノーマスク卒園式を可能にしたか、気になるところですかね。
平和主義の私がとった言動とは?
「マスク、もうしたくないです」で一旦外せた
私自身もマスクをしていた時期があるし、なんなら二重マスクをしていましたよw
しかし、コロナ初期の非常に緊急事態と思われた時期の“都心の満員電車”画像を見て、あれあれ?と思えたところからスタートです。
あれあれ?
今となってはどこをどう辿っていったか、ちょっと思い出せないくらいですが、とりあえずその年の夏前くらいから
「この布切れ、いらんな」
となりました。
しかし、すでにマスクありきで幼稚園生活・小学校生活をしていた我が子たちには特に何もせず、周りと同調したままでした。
まだ自分の中にも不安や疑問があったのでしょう。
それがいよいよ確信になったのが次の年の春。昨年の春ですね。
これから暑くなっていくことが確実な状況で、5歳の娘は自ら苦しいからといってマスクを外したりできないだろうなと予測し、ついに幼稚園年長の個別懇談において、
「先生、マスクはもうしたくないんです」
と、なんとも捉え所のない発言をしたのをはっきり覚えています。
しかし、この言葉が当時の私の全てでした。
私の説明で先生も共感してくださった部分もあり、基本的にはしなくていいとおっしゃっていただけました。
ただし、
「全クラスが集まるところでは付けても大丈夫ですか?」
この条件がこの先ずっと付き纏うことになるとは、この時点では全く想像していませんでした。
不織布マスクを勝手につけられていたのをみて・・・
全クラスが一堂に集まる行事などではマスク着用をお願いしたい。
これが園側の条件でした。
理由は、「そうでないと万が一の時、私たちが園児を守れないから」だそうです。
すでに守る守らないの概念が破綻している園生活ですが、しょうがないか・・・と諦めてしまいました。
5歳という幼い年齢の娘、ただでさえみんなと違う感を毎日味わっているわけです。
ここで「何がなんでもノーマスク!」と私が突っ走ることは娘の園生活にも支障が出るかも、と思ってしまったのです。
後々後悔しましたけどね…。これも学びだな。
その後、たまにマスクをつけたままお帰りをする娘の姿もあったり、幼稚園が発信するサイトやお便りの写真でマスク姿の娘を確認したりw
念の為、と持たせていたマスクのせいかな。
いやいやそれだけちゃうかったー。
参観日の日。
先生がクラスのみんなに日課として
「ハンカチはありますか?」
「ティッシュはありますか?」
「マスクはしてますか?鼻までね」
こう呼びかけていたのです。
これではね…。
やっちゃいますよね〜。
仕方ない、マスクを持たせず行こう。
なければできないから娘も諦めるんじゃない?手抜きやったかなぁ。
それから数日後のお帰りの際、なんと娘のお口に小さい小さい顔にへばりつくような不織布のマスクが装着されているではありませんか!
この時も極力目立った行動をしたくない私は「仕方ないか・・・」と見過ごしてしまいました。
私は私でブレてますね…。
心のモヤモヤも消えずにくすぶっていました。
その後も、全クラス活動があるたびにピチピチ張り付きマスクをさせられてお帰りしてくる娘。
「あかん、これはあかんな」
やっと動く気になったのが卒園も控えた3月頭のことでした。
卒園式も入学式もマスクはしません!
正直、もうあと2週間でこの園ともお別れだし、このままちょっとだけ我慢してれば解放される、という甘い考えがありました。
当然、解放はされませんし、なんならより締め付けがキツくなるかもしれない新入学。
ここできちっと、子どもたちの親としての態度を示しておく必要があると決心。
「先生、もううちはマスクしないので。それについて先生方にお願いしたいのは周りのお友達や先生への周知の徹底です」
ここまでかっこよくビシッとは決まりませんでしたが、娘からの話(お友達にマスクについて言われる)も踏まえてお話ししました。
はい、ここでもあの伝家の宝刀が出ましたよ。
「ただ、全クラスが集まる場ではどうしても・・・ってことでいいですか?何かあった時にナントカカントカ」
それでも基本はしない、そして不織布のマスクの強要はしないでほしい。
これだけを伝えて終了です。
こういう押し問答においてはそれこそ外部資料が有効なのかもしれませんが、この園の先生方はある程度わかって見逃してくれている部分もあると感じていたので、そこまで意見の押し付けをしたくない気持ちがありました。
あとは娘本人に、先生にちゃんとママから言っておいたからあなたはマスクをしなくてもいいんだよ、としつこいくらいに伝えました。
最後の園生活も残りわずか、ということもあってかその後の娘への強要マスクは一切なくなったようです。
修了式の練習の写真を見ても、うちの娘だけノーマスクでした。
【親のスタンス=子どものスタンス】ではないと自覚しておこう
私がもっと確固たる態度で、ちょっとしたことに対してもその都度教育機関に意見していたらモヤモヤすることも少なかったかもしれません。
しかしこのモヤモヤは、先生たちがわかってくれない!というものより、娘たちが嫌がるかなぁ…という遠慮によるものの方が大きかったと思います。
だって、嫌でしょ?
自分の親が園や学校に意見するなんて。
幼稚園児はそのあたりの感情がいまいちはっきりしないかもしれませんが、なんとなくは感じているでしょう。
「ママ、先生とお話ししたんだぁ。先生どう思ったかなぁ」
とかね。
小学生にもなるとはっきりと何かしらを思うと思います。うちの5年生は
「いい、いい、私は言わなくていい」
だってw
3年生の次女はどうしても苦しくなるということで、ママから言って欲しいと言われました。
担任の先生、教頭先生にはしっかりと意思表示をしました。校長はほぼお飾り状態なので教頭先生が窓口ですね。
こちらもまた
「お母様のお話はよーくわかります。私たちも同じ気持ちのところもあるんです。でもね、でもこればっかりは指示が出ていることをやるしかないんですよ」
「子どもたちが一番可哀想でね…。行事が縮小したりなくなったりと。しかしこればっかりは・・・」
「苦しい時はそれはもちろん外してください!当然ですね!ただ、だからマスクしなくていいですよ、苦しい人は外してください、とは言えないんですよ・・・」
なんで??なんでなんで??
データや資料が手元にたくさんある私はそうやって先生と対等に話すことができます。
しかし、子どものスタンスも親と一緒かというと、そこはよーく話し合って観察していかないとですね。
マスク茶番についてはしっかり説明する
子どもの健康って、食べ物や生活習慣だけではないですよね。
心の方も成長途中で安定せずにゆらゆらしている大事な時期だと思うのです。
学校での生活もその都度変化して日々アップデートしていったこの2年以上。
なんとかかんとかみんなと足並み揃えて過ごしている学校という場、そこへ親の私が乗り込んでいって先生を説き伏せた、なんてヒーローどころか大迷惑おばさんかもしれません。
子どもにとってその「嫌な行為」が心だけじゃなく、身体へも影響を及ぼすことはあると思うのです。
そうなるとどうですか?
そう、マスクして同調していた方が体にはいいってことなんです。
変な話なんですけどね、親が何かしら動くのであれば
- なぜ動くのか
- なぜマスクをしていたらダメなのか
- この騒動の本質はどこにあるのか
- 親が動くことによって起こり得る問題は何か
- 動いていいかどうか(その子のマスクについて言及する場合)
最低でもこれくらいは自分の子どもと対話しておくべきですね。
あとはその子自身が自分で調べたり考えたりすると思うし、それによってどう答えを出すかに関しても親の意向とは切り離して考えないといけませんね。
周りのみんなと一緒がいいならするしないは任せる
マスク茶番について、ある程度話して理解できる年齢とそうでない年齢や性格の子もいます。
特に幼稚園児や低学年の、まだはっきりと自己主張などができない子たちについてはマスクによって起こり得る悪影響を親が判断して主張していくのがいいかなと思います。
うちの小3と小5の娘たちは、概ねマスクをしています。
ただ、登下校中や体育の時間などは適当らしいです。
する理由としてはやはり
「友達がしてるから」
ですね。
おそらく友達がしてなかったらしませんね。頼りないなぁ。
先述した通り、3年生の娘は体感として「嫌だ」というものを感じているみたいで、授業中とかアゴにしてたり鼻出しにしてたりするみたい。
すると教室内のマスク警察が囁くんですってよ。
「マスクくらいちゃんとしなよ」
ほんまこれな。
先生に言われるよりキツいよね。特に控え目で大人しい次女にとっては…。
なので、次女の場合はわりと都度都度先生に連絡帳などで訴えています。
一応二人とも学校の方へは認識してもらうように言っています。
「苦しいときは外して過ごす。その旨を周知してほしい」
さらに先日、今年から新一年生として同じ学校に通う三女についてもお話ししておきました。
- 1年生は外したり付けたりが器用にできないから基本しない
- マスクをする理由もない
- マスクの感染予防効果は認められていない
- 持っていないからといって不織布のマスクはさせないこと
- マスクをしない子もいるということを周知
「ではお母さん、あの当時流行った、アベのなんとかってあったじゃないですか?あのマスクなら学校にもあるので布だしいいですか?」
「あはははは!あれね!あれもすみませんナシで!」
常に学校の様子をそれとなく聞き出す
世間との乖離が徐々に目立ってきた、ということをうちの子たちも薄々感じているのかもしれませんね。
そういうときこそ家庭内での会話がとっても大事です。
私もまだまだ十分に寄り添えてないと思いますが、意識としてはそこは大切にしようと思っています。
「マスクどう?」
ってストレートに聞けそうなときは聞くし、全然関係ない話をしながら思いがけず娘の方からマスクでこんなことがあったと話してくれたり。
とにかく、何があってもママとパパはあなたたちの味方。
パパは忖度マスクを外せないけど、思いは一緒のはず。むしろだからこそ気持ちがわかる部分もあるだろうしね。
ってことを感じ取って欲しいですね。
私ができることなんてほんとにこんなことくらい。
あとは、マスクやコロナについての事を忘れるような楽しいことや美味しいものを提供して一緒に楽しめるといいかな。
我が子のことに関してさえこんなにも歯痒さがあるのに、ましてや他の家庭やよその子どもに対して茶番の話をして理解させようなんてやっぱり私にはできないかな。
まとめ:小学校でも幼稚園でも「マスクはしません」でOK!だけど子どもの心情の見極めは慎重に
マスクをしていない人に対する小言のせいでみんなマスクを外せないのかもしれませんね。
小言がなかったとしても冷たい視線などは感じるのかな。
今ではすっかりノーマスクが定着している私ですが、やはりマスクするしないについて考える日もあります。
前提が違うということを考えてしまうと、お気に入りのお店に入るとき「ここの店主はどう感じるだろう」とよぎらなくはないです。
図書館に行くたびに「あー今日もマスクありますか?って来るんかな」とかね。
でも私はマスクが必要ない状態である限り「マスクはしません」
こんなこと記事にするのもおかしいくらいの事のはずなんですがね。
2年で世間の常識が変わってしまった今、少しでも迷っている方、躊躇してる方の背中を押す記事になっていたらいいなと思います。
かわいいピカピカの一年生、入学式では全顔の笑顔をたくさん見たいものです。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。