ー本記事は2019年4月11日に公開済みですー
新潟に住んで10年、その間いろいろ新潟のすごさを発見してきました。
また、そのすごさに気づかず点と点でたまたま知った情報のはずが、実は線で結ぶとすごいなんてもんじゃない、驚異的なガクガクもんだったということも稀にあります、スー(@bacteria_suzu)です。
本日もお越しいただきありがとうございます。
新潟人である家族からはその名を聞いたことがなかったのですが、私が張っていたアンテナにちゃんとキャッチされてしまったあるお二人の人物。
今回はその方々について、また、著書について私なりの見解をまとめてみたいと思います。
安保徹という人
名前を聞いたことがある人、書籍を読んだことがあってよく知っている人、全く知らない人、いるでしょうけれど、健康に気をつけて情報を模索している方はおそらく高い確率でこの方にぶち当たるのではないでしょうか。
安保徹氏。
今は亡き世界的免疫学の権威、権威なんていうとちょっと威張った感じがしますが、この方は本質を知っていた本物の人だっただけに、表立って偉そうにしているなんてことはなかったと思います。
そしてその本質というのは、世間一般の常識からみると異端であり、闇の勢力からしたら脅威であったかもしれません。
実は、2016年12月6日にこの世を去られていたのです。しかも急死。69歳でした。ロックだね。
新潟にいたすごい人
安保徹氏は、新潟大学医学部の教授になられたあと、2013年に新潟大学名誉教授に就任されました。
大きく言えば日本の医学者という肩書きのようですが、主に免疫についての研究やその成果が中心のようです。
それが、人間の病気とどう関わっていくのかという理論に発展したものが、今ままでにない全く新しい発見といえるもので、世界に対しても多くの論文を残されているのです。
ただ、だからといって専門的すぎてわかりづらいということではなく、むしろ誰もが抱えている最大の悩みに対する解決方法を示されているのであって、すべての原因が免疫システムに由来していると言っても過言ではない、というシンプルな発想なのです。
氏が独自にいろんな研究をし、それぞれのメカニズムを解明していったというのは明らかなはずなんですが、wikipediaによるとすべての功績が「〜と主張」という、本人が勝手に主張しているだけ、みたいな書き方をされていてちょっと切なくなりました。
ガン治療や薬剤について、かなり真っ向からあちらの勢力に反対している論理の展開が主なので、敵は多かったのかもしれませんね。
私が知ったきっかけ
私がこの新潟にいたすごい人を知ったのは、実はひょんなことからなんです。
今から6〜7年前、ちょうど旦那の体調も良くなくて、会社でも多くのストレスを抱えていることが見ていて痛いほどわかるという時期がありました。
入社後5年とかそんな時期、正念場ともいえますね。
そんなとき、たまたま見た雑誌か新聞の書評欄に、安保徹氏の『疲れない体を作る免疫力』が載っていたのです。
これだけでは私もそんなにハッとしなかったと思うのですが、その書評を書いていたのがロックバンドの真心ブラザーズの方だったのです。
「へー、渋い本読むなぁ」
と、一気に興味を持っていかれました。
即買って読んでみたら、なんともまさに当時の旦那に読んでほしい1冊だったのです。
- 目からウロコ
- わかりやすい
- すぐ実践できる
- お金もかからない
健康法が、最初から最後まであふれていました。
自分が疲れたり、辛い思いをするのは、頑張りすぎた結果なんだと。
そんなときはこうやって乗り切ってみたらどう、と。
もちろん専門的な用語や数値、免疫システムという難解なメカニズムなどを説明されているところは多少理解に苦しんだりもしましたが、そういった記述がある方が説得力は上がりますよね。
健康オタクの私にも、当時の病んだ旦那にも響いたみたいで、二人して自律神経というものに目覚めたきっかけが、ここにあったのです。
訃報で再会した優しい人
実は、氏の本はその後何度か図書館で借りて読んだり、立ち読みしたりしましたが、購入したのは先の1冊だけでした。
大体の内容が同じような気がしたのと、そこまでのめり込むほどに傾倒したわけではなかったからです。
そこからもいろんな健康に関するものを模索し、次々に実践していたこともあったり、また妊娠・出産・育児という流れがそれから今までずっと続いていたこともあって、安保徹氏の理論はしばらく眼中にありませんでした…。
ところが、今年に入ってこれまたひょんなことから安保徹氏に関する情報がポーンと私に飛び込んできたんです。
それが訃報でした。しかも2年以上も前の・・・。
・・・。
あまりに突然に入ってきた訃報だったので、なんの心の準備もなく、もちろん最初は信じられませんでした。
え?
しかし、いろいろ調べてみると紛うことなき真実でした。
その死に関しては、諸説飛び交っているようですが、死人に口なしです。これが狙いでしょうか。
そして、お顔は写真で拝見したことがありましたが、人となりというものは全く未知の安保徹氏。
今回初めて、動いて話しておられる氏の姿を鑑賞したのです。
「優しいなぁ」
とても優しいのです。
青森出身の独特の訛りが全然抜けていない、とても優しい語り口調のおじいちゃん。
毒舌で歯に絹着せぬ、強い口調の講演会なのかと想像していた私は、一瞬にしてとりこになりました。
すごい人なんだけど全然威張ってない、根幹にあるのが自他ではなく完全な利他の精神なのだなぁと感じ入りました。
私が鑑賞したその講演会は2時間ありましたが、一気に見てしまいました。
そのどこにも「負」の要素がなく、終始「優しい愛」があったと感じました。
こんな人が自分の住んでいる新潟という土地におられたのだと思うと、余計に感慨深くもなりますよね。
福田稔という人
もう一人の新潟のすごい人、この方は、安保徹氏ほど有名ではないかもしれませんが、お二人で発見され開発された理論を実際の現場で実践されていた方です。
医師ですね。
実はなんとこの方も逝去されていたのです・・・。2014年4月7日に・・・。今ほど知りました。
それにしても、こんなに素晴らしい功績を残されたこのお二人の訃報がほぼないに等しいのはなぜ?
福田稔医師に関しては素晴らしい書籍をたくさん出されているにもかかわらず、情報が少なすぎます。
ひいき目で見ているからそう感じるだけなのかなぁ…。
福田ー安保理論
福田医師は新潟県立病院の外科医として、外科手術などを手がけておられたそうです。
30年というキャリアの中で、最後は病院側と大げんか!?をやらかし、規律を乱す反逆者として医局を追われたそうです。
その後新潟県新発田市のリハビリ主体の老人病院で東洋医学に由来する免疫療法を実施されていきます。
ちょうどその時期は、安保徹氏との共同開発が軌道に乗るかどうかという大事な局面を迎えていたこともあり、福田氏の人生もここから大きく転換していくのです。
安保徹氏と福田稔氏の出会いも、何かに導かれているかのように徐々に徐々に接近されていきます。
お二人はすでに第一線で活躍されていましたが、フィールド違いもありそこまで関心を寄せ合っていたわけでもないようです。
しかし、虫垂炎と天気(気圧)の関係における福田氏独自の研究が行き詰まり、突破口がなかなか見出せない日々の中、いろんなタイミングと引き寄せにより、ついに出会うことができたといいます。
その時のお互いの印象は、
相思相愛ですね。
我が娘とともに福田医院へ!?
今から7年以上前のことです。
まだ歩けないような長女が中耳炎の症状になったとき、耳鼻科を探しました。耳鼻科ではステロイドを使用することが多いですよね。できるだけそれを避けようと調べているとヒットしたのが「福田医院」でした。
派手さのない、昔ながらの地域密着風の耳鼻科でしたが、歩いて行けるというのも魅力でした。
すでに氏は「自律神経免疫療法」を確立され、針を使って施術されていました。私がこの耳鼻科に行ってみたいと思ったのは、その治療法でアトピー性皮膚炎をステロイドなしで治療されているということを知ったからです。
でも、福田医院、耳鼻科・・・。何で?
まぁ、娘も中耳炎がきっかけではあるけど、病院に行ったらアトピーのことも相談できるかな、という思いでベビーカーを押して初めての道を二人で行きました。
流行りの病院のようなウエルカム感が全くない病院で、心細さはマックスです…。
受付でいろいろ聞こうと思っていたことが何も聞けず、ただ中耳炎の症状を見て欲しい患者になり待合室で呆然としていたのを覚えています。
もう詳細は覚えていませんが、耳鼻科の方は奥様がやられているのか、女性の先生でした。
針治療は別室なのか・・・。
なんだかネットで集めた情報しかない私はそういう疑問を投げかける勇気が出ませんでした。
もしかして全然違う病院だったのかな・・・とさえ。
哲学が響く
そんな心細い体験をした数年後に、安保氏の著書によっていろんなことがわかり、やはり福田稔氏という人もすごい人だったんだなぁ、あの時の自分がもう少し勇気を出せていたらどうなっていたかなぁとちょっと複雑な気分になりました。
福田稔氏は、医師なので施術がメインです。
多くの患者さんの外科手術・外科治療を経験し、悪いところを切っても薬を使っても一向に減らない完治。何度も病院に戻ってくる患者。増えていく処方箋・・・。
これはおかしい。
普通の感覚を持っている人ならそう思って当然です。
さらに医局の抗がん剤に関する考えにどうしても納得できず、噛み付いてしまったのです。
手術や薬を使わないで患者さんを治したい。そう強く思ったそうです。
そのタイミングで、福田ー安保理論が完成し、針を使って治療できることもわかったのです。
そんな福田医師ですが、長く外科医として活躍されていたので、この施術をアトピー患者に行ったときはリバウンドというものに初めて遭遇し、全く先が見えない治療に不安になったと言われています。
そういった体験をしながら手探りと確信の中、多くの困っている人を健康に導かれていったことでしょう。
そして、福田医師が終始語気を強めておっしゃっていたこと、それは、病気を治すには、
「自分で病気を治すという気力」「自分で自分をコントロールする、自立」
この2つが絶対に必要だということ。
この2つをしっかりと持っている人は、自分で自分の病気を治すことができると。
この厳しさは、紆余曲折を経てきた人生の中で、自らもうつ病を発症し断薬に苦労したこと、そして多くのいろんな患者さんを見て手当てしてこられた福田医師だからこそ、私たちの心に響くのではないでしょうか。
まとめ
感度がよく、世間の常識にガチガチになっていない人たちの間では本当に愛されてきた存在のお二人。
敵も多かったと思いますが、どんな閉じ方であれ非常に素晴らしい功績を残された、素敵な人生だったと思います。
幸い、このお二人の愛がこもった本は現代世界にたくさん残されています。
どれか1冊、あなたのアンテナにビビビッときたものから、ぜひ読んでみて下さい。
きっとどれを選んでもその内容はピカイチだと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。